「学ぶ」
この意義を子ども達からきかれることがある。
確かに
覚えなければいけない
宿題を出さなければいけない
テストで評価される
手を上げなければいけない
あれこれ「~いけない」で縛られて
「やらされている」
が強くなっているのかもしれない。
「比較されるもの」
というイメージが強くなっているのかもしれない。
「点が取れなければ叱られるもの」
というイメージが強くなっているのかも知れない。
人は、成長をし続けるのだからこそ、
「学び」はしなくていいなんてことはない。
本来は、成長は楽しいものであり、
「学び」は楽しいものである。
また、
才能資質が何か、
自分とは何者か、
が、わからない段階では、
それを知るために、学ぶといったこともあるのかもしれない。
そして、それぞれの人には、
才能資質、使命があるからこそ
そもそも比較することがナンセンスなのだ。
今学んでいることが
将来に使うかどうかはわからない。
大人はよく、将来使わない
といったことを言う。
それは、その人の人生の使命において
使わなかったということであって、
その大人が全てではないことを
知らなければいけない。
学びを
意味のあるものとするか、
そうでないものとするか。
大人にも責任があるのかもしれない。
「学ぶ意義とは?」