理不尽なこと
理不尽なルール
こちらのジャッジといえばジャッジだが、
それは何のためにが
説明できないことは
やはり理不尽だと思う。
その理不尽に縛られて
苦しむ子どもがいる。
純粋な子どもは、
理不尽を感じたとき、
大人に問う。
そこで、
「ルールだから」
「慣習だから」
では、納得がいかない。
力で押さえつけられることで、
純粋な部分がつぶれてしまう。
それが重なれば、
あなたは誰かがわからなくなってしまう。
理不尽がなければいいかというとそうではなく、
それがあるからこそ、
理にかなったことの意味がわかるのだ。
何事もバランスである。
「子どもの素朴な疑問にどう向き合いますか?」