言葉は変わる | Teacher Kuroda 奮闘記 【La C Lo】

Teacher Kuroda 奮闘記 【La C Lo】

愛知県日進市で、小中学生に数学&総合学習を行う「数学コーチングⓇ」、自己探求を行う「対話と探求」、様々な世代を対象に子育て、キャリア教育などを行う「La C Lo サポート」。
共育共創家の黒田忠晃が、日々の出来事、教育に対する想いなどを綴っていきます。

文化庁の2011年度国語に関する世論調査の結果が発表されて、
昨日の新聞の朝刊に、様々なデータが出ていました。
慣用句や言葉の意味の誤用について。

たとえば、「失笑」
こらえ切れず吹き出して笑う意味の「失笑する」を60%が「笑いも出ないくらいあきれる」
と誤答した、とか「にやける」を本来の意味の「なよなよしている」と答えたのは15%で、
77%は「薄笑いを浮かべる」と間違えた。

自分の言葉に気を使う人は04年度調査より7ポイント増えて78%に上った。
相手や場面に応じて敬語を使う人も01年度調査より16ポイント増の74%となり、
コミュニケーションへの意識が高まった。

文化庁は「言葉を意識する人は増えたが、本来の使い方を身に付けることには
つながっていない」と述べているとのこと。

ここで浮かんできたこと。言葉の意味を決定したのは誰なんでしょう。
辞書には一般的にこういう意味ですよっていうのが書かれているだけではないかなって。

「ありがとう」という言葉。漢字で書くと「有り難う」。
昔は、「めったにない」という意味だったそう。
今は、そういう使い方はしないですよね。

どこかで変化したはずなんです。

大多数の人が使っっていた意味が、今の意味に繋がっているんだと
考えたとしたら、誤用して使っている意味の方が、
その言葉の持つ新しい意味なんじゃないかって考えられないでしょうか。

文法だったり、本来の言葉の意味だったりにこだわりすぎると、
それがネックになって、円滑なコミュニケーションができなくなるかもしれません。

コミュニケーションを図る相手によって、言葉を使い分けることは必要ですが、
ジャッジすることは、自分の価値観に偏ってしまうことがあって危険が潜んでいます。

ちょっとひねくれているかも知れませんが、こんなことをちらっと考えてしまいました。