【(介護への思い))フィリピン滞在記177】

一昨年、母を亡くした。

介護施設でコロナにかかった。

すぐに入院。

一ヶ月ほどで回復。

退院できた。

 

この時点で奇跡だと思った。

ところが施設に戻って2日で誤嚥肺炎。

すぐに入院。

一週間で亡くなった。

 

驚きであった。

快復力からすると強い思いがあった。

生きたいという思いだ。

 

後からお医者さんから聞いた。

「まだ、死にたくないのでお願いします」

母がよく言っていたそうだ。

 

生きたいという強い意志。

まだ、相当頑張れそうだと思った。

ただ、肺炎にかかると厳しい。

本当にあっという間だ。

 

介護現場は大変だ。

当時、施設ではコロナが流行っていたらしい。

介護士さん苦労は並大抵ではない。

 

知り合いの介護士さんから聞いた話だ。

施設の夜勤。

介護士さんは本当に大変らしい。

夜、看護師がいない施設の場合。

医療行為が十分にできない。

看護師さんと電話連絡して対応する。

 

 

何が起こるかわからない怖さがある。

人手が足らない職場。

このままでは働く人が大変な状況になる。

人材不足をどうするか。

 

これが私のこれからの生き方を決めた。

人と人の関係。

介護現場では人間現関係が大切だ。

介護士には専門性とともに人間性がいる。

フレンドリーは人が絶対によい。

 

少子高齢化の日本では人材が少ない。

ならば海外しかない。

東南アジアの人たちだ。

 

フィリピンやインドネシア。

平均年齢は20代。

それでいてフレンドリー。

 

現在、フィリピンで教えている。

彼らを近くで見ている。

本当にフレンドリーだ。

本当に優しい。

仲間や教師を大切にする。

特に家族をとても大切にする。

                 (卒業生代表あいさつ)

生徒たちがよく言う言葉。

「両親に感謝しています」

彼らは本心でそう思っている。

 

彼らは家族のために日本に行く。

子どもが小さくても日本に行く。

原則、3年間は国に帰れない。

それでも日本に行く。

お金を貯めるためだ。

 

トライスクルの運転手のJB君。

トライスクルに奥様と赤ちゃんが乗っていた。

少しでも一緒にいたいのだ。

それでも3年間日本に行く。

 

彼らはとても明るい。

笑顔が素晴らしい。

授業でこれだけ笑顔がある。

日本であり得なかった。

彼らの人間味が素晴らしいからだ。

 

彼らは介護現場の救世主だ。

ただし、会話能力がいる。

会話ができないと人間味が発揮できない。

だから、彼らに日本語を教えている。

 

母には亡くなる前に反対された。

海外で働くことだ。

泣いて反対された。

しかし、今なら許してもらえる。

勝手にそう思っている。