【(女装する先生)フィリピン滞在記73】

朝、教室に行くと、白板にいろいろ書いてある。

最初、フィリピン人先生の誕生日かと思った。

黒板に先生への感謝の言葉が書かれている。

 

フィリピンには「先生の日」がある。

10月5日だ。

「そうなんだ。そんな日があるんだ」

調べると日本にもある。

私は聞いたことがなかった。

 

「私も皆さんに感謝しています」

生徒たちはニコニコしている。

彼らには本心から感謝している。

彼らは真剣に授業に向かっている。                   

この状況が当たり前の前提になっている

これは当然、当たり前ではない。

 

日本で教えていたためフィリピンと比較してしまう。

環境が全く違うので簡単に比較はできない。

ここは技能実習生の送り出し機関だ。

それでも先生に対する見方について感想を述べる。

 

まず、生徒たちは先生を信頼している。

教え方云々を言われることはまずない。

わからないのは自分の責任。

信頼する先生に迷惑をかけたくない。

真剣でないと先生に迷惑をかける。

そんな感じをいつも受ける。

 

私が教えているとき、フィリピン人先生も教室にいる。

スマホを見ている若い先生もいる。

生徒たちは気にもしていない。

日本なら親からの苦情もあるであろう。

前提に信頼があるからであろう。

 

彼らは、常にこちらを気にしている。

授業中の行動もよく見ている。

大いに関心はあるわけだ。

それでも、先生についての批判はしない。

先生はそのような対象ではないのだ。

 

私は歩いて学校に行っている。

20分ほど歩くと多くの人に出会う。

多くの人は日本人先生ということを知っているらしい。

必ずお辞儀をしてくれる人がいる。

先生は尊敬されている。

 

生徒たちはどこでも大きな声で挨拶する。

確かに挨拶するように言われている。

それでも挨拶の雰囲気は真剣そのものだ。

言われてやっているという感じではない。

あまりに大きな声な挨拶で驚く人は多い。

心から言っているので私には違和感はない。

 

教師の日、別のフィリピン人先生。

授業後の放課だ。

その先生が女装している。

大きな胸で「失礼しますね」

「えっ?」

日本ではありない。

女子生徒もいるが、みんな笑っている。

 

真面目な先生というイメージではない。

遊ぶこともあるし、女装することもある。

それでも生徒のことはきちんと考えている。

生徒思いで信頼されている。

フィリピン人の国民性かも知れない。

いろいろ学べるフィリピンに感謝している。