【(気迫)フィリピン滞在記252】
【(気迫)フィリピン滞在記252】気迫を持って話す。伝わり方が変わる。フィリピンで教えて確信になった。フィリピンでは言葉がわからないことが多い。それで内容がなかなか伝わらない。あることに気がついた。伝わる場合もある。気迫を持って話すときだ。文法がどうのこうのではない。なぜか伝わる。伝わることがわかる。相手のしぐさや表情からわかる。細かい意味はわからないかもしれない。それでも伝えたいことは伝わる。生徒たちの日本語の勉強は過酷だ。それでも必死に勉強している。「今の勉強は大変です」「大変だから日本語の力がつきます」「言語は復習が大切です」「いかに復習を繰り返すかにかかっています」生徒たちも一生懸命だ。教師も一生懸命。だから言葉が届くのかもしれない。未熟なタガログ語や英語も話している。日本語だけでは伝わらない部分を補う。最後は気迫で補う。今しか補えないと言う想いを持って。 (卒業生全員で踊る)彼らは基本的に素直だ。素直で真剣に学ぶ。だから、伝わる。教える方も真剣。教わる側も真剣。学びの基本姿勢だ。意外とこれは満たされない。教えることは簡単ではない。教わることも難しい。何が伝わらないのか。何がわからないのか。伝えたい気迫。わかりたい気迫。このせめぎ合いが学びの空間。頼りすぎてはいけない。教えすぎてもいけない。学びの姿勢。それがあると、気迫が伝わる。本来の学校だと思う。理想とする学びの空間。学び、創造していく空間。これは教える、教わるの立場を超える。楽しんでも良い。むしろ楽しむべきだ。学びに感動して感激する。人の学びは人を成長させる。仕事のための学びではない。進学のためだけの学びではない。自分のための学びなのだ。