みなさん、こんにちは!!

 

どうも、ヤマザキナオトです。

今日も自分の考えていることについて書き起こしていきたいと思います。

 

今日のテーマは「ロジカルシンキングとは何か」です。

 

このペーjジを読みに来ているあなたは、

頭がよくなるには何が必要かとかいうことを一度は考えたことがあるのではないでしょうか?

 

その中で必要な要素としてロジカルシンキングが出来るということが含まれてくることも多いと思います。

 

じゃあ、そのロジカルシンキングとは何なのかということを皆さんは考えたことはあるでしょうか?

 

僕は思考中毒者というレベルでいつも何かしら考えていないと落ち着かないので考えたことがあります。

その結果ロジカルシンキングとは絶対的なものではなくて、それっぽさの説明の手段でしかないという結論になりました、

 

どうしてそういう考えになったのかというと

ロジカルシンキングをして出てきた結果が絶対に正しいということがないということが分かったからです。

 

ロジカルシンキングとは一般的には3種類あるといわれています。

一つ目が演繹法。

二つ目が帰納法。

そして三つ目が弁証法。

 

ちょっとごっちゃになっているかもという人のためにある程度説明しておくと

演繹法というのは

前提があって、ルールがあって、ある仮説が正しいとするとルール上これは正しいといえるねみたいな感じです。

たとえば生き物は呼吸をしているという前提があって、

この目の前にいるのがカラスだと仮定すると、カラスは生き物であるので、この目の前にいるのは呼吸をすることがいえるというような流れです。

まあ、よくいう三段論法です。

 

今度は帰納法です。

帰納法は非常に簡単で、可能な限り見てみた結果全部に共通するのがこれだったから多分これは正しいといえるんじゃね?って感じです。

沢山サンプルを出してきてそれが共通項があるからそれはそういうモノだって思っていんじゃないのってくらい結構いい加減なものです。

これは反例が出てきたら終わるもろいものであるので、一般に言われるロジカルシンキングには含まれないことも多くあるみたいです。

 

そして三つ目の弁証法なのですが、これは次元を一つ上げて一見矛盾している事をひとまとめにしましょうというものです。

何を言っているのやらという方のために一つ変な例えを出すと、

ある人は目の前にある図形は「丸だ」と言っています。

またある人は目の前にある図形は「三角だ」と言っています。

これらは一見矛盾しているように見えるかもしれませんが

次元を平面から立体、つまり2次元から3次元へと移行すると

実は円錐でいしたという話です。

円錐は横からみれば三角形ですし、下から見れば丸です。

このように次元を一つ上げて考えるということが弁証法です。

 

では、一般にいうロジカルシンキングとはなんなのかということを考えると

多分始めの演繹法なのではと思います。

 

どうしてなのかというと

帰納法は何かを考えるということではなく、単純にデータの数が勝負でしかない。

だから考えるということではない。

 

弁証法はなぜ違うのかというと

これは次元を上げて感がるということは抽象的な概念でしかないからです。

どういうことかというと、コップというものを抽象的に次元を上げて考えると皿と一緒になります。

どういうことかというとどちらも形としてある平面を持っている。

だから同じ概念のモノだということになります。

少し乱暴な考えですけど、これはラテラルシンキング的にはいいのかもしれませんが

ロジカルという枠には一般にははいっては来ないような印象です。

 

そのロジカルシンキングという言葉から想像するものは何かを解決というよりもデータ上こういうことが誰でも言えますよね?的な感じやと思うのでこの抽象的考えは誰でもそういえるかというと違うのかなって意味で外しています。

まあ、この弁証法を出来る人が一番頭が良いようには思いますがね笑

 

ですから一般的には演繹法が出来るということがロジカルシンキングが出来るということなんだと思います。

 

じゃあ、演繹法とはどのように生まれたのでしょうか?

 

それはビジネスによって生まれたとされています。

ビジネスにおいては、差が価値を生み出します。

だから自分たちとは異なる価値観のところへ行って、仕入れてきてそれを売る。

いわゆる商社がやっているような横流し的な感じのやつです。

 

今でこそ外国語を勉強するということで異文化の人としゃべることが出来ますが、

昔は共通言語がありませんでした。

 

そうした中生み出されたのが、絶対に誰がやろうが同じ結果が出るようにということで「数学」が生まれました。

これは昔からあったのですが、異文化を繋ぐコミュニケーションツールとして使われ出したということです。

 

前提としてたくさんのルールを作っておいて、これはこれだけの価値があるからそっちのこれだとこの量だけ必用だよということを誰が取引しても同じようになるということのためにできました。

 

ですので、ロジカルシンキングの演繹法は数学の中の一つとして出てきた考えでありますし、誰がやっても同じになるはずということは誰でも出来るようになっているとも取れます。

つまり、どんな人でも訓練しだいで習得可能なコミュニケーションツールでしかないということです。

 

これらのことを考えると演繹法は訓練しだいで誰でも出来るということが分かります。

 

やれフェルミ推定だ、やれ脳トレだとか言われていますが、ロジカルシンキングとは誰でも訓練次第で出来るものなんだと思います。

 

しかしこの演繹法にも弱点があります。

それは何かというと、前提とルールが正しいのかの判断がつかないということです。

 

たとえば、前提として全ての犯罪者は犯罪を犯前のす6時間以内にはお米を食べている。

仮説として、人間が犯罪を犯すには何かきっかけがあるとする。

そうすると結論として、お米を食べると犯罪を犯すという結論になります。

だからお米をこの世からなくせば犯罪がなくなるのでは?みたいな議論になります。

 

これは単純に前提の取り出し方を間違えているということもありますが、

前提、仮説においては何も間違ってはいません。

だから結局正しい答えになるはずですが、出てきた結論が全く正しくないというように思えます。

分からないことに対してロジカルに考えていくので、結果が正しいかどうかはわかりませんので、たぶんこういう考え方をしていたらお米は悪いものだとみんな思ってしまうと思います。

結果が違うと分かっていれば滑稽な話ですがね笑

 

他に例えで

前提として、1万時間以上練習をしている人はプロになった。

仮説として僕がこれから1万時間という時間をかけて練習をする。

結果として僕はプロになれる。

 

これも正しいとは言えません。

どういうことかというと前提が間違っているからです。

正確に言うと、前提の条件として

1万時間以上練習している人の中からプロになる人がいるということは正しいですし

プロになっている人だけ見た場合、全員が1万時間を超えていることも正しいです。

ですが、これは1万時間練習しようがプロになっていない人もいるということが抜けています。

つまり、1万時間の練習は数学的な言葉を使うなら、必要条件でしかなく、十分条件ではないということです。

 

ですから、前提自体が間違っているので、出てきている結果は間違っているといえます。

ここでの場合は、プロになるために1万時間の練習は必要ではあるけど、それだけでは十分ンではないということです。

 

ただ、ここで注目してほしいことは、ロジカルとしては何も間違っていないということです。

ここが僕が今回伝えたいことで、ロジカルシンキングがいくらできるようになっても

実際に出てきた答えが正解ではない場合もあるのではということがあります。

 

今からロジカルシンキングを学んでいきたいなと思っている方は是非これを念頭において

習得に心掛けてください。

 

ロジカルシンキングが出来るようになると沢山のことが出来るようになった気になりますが

実際はコミュニケーションが人より多く取れるようになるというだけなので

出てきた結果は正しいか正しくないかは実際に試してから決めるというような姿勢で何事にも取り組んで行ってもらいたいです。

 

大それたことを言っていますが、僕も以前までは演繹法が出来るやつが最強なのではと思っていましたので、自戒の意味も込めてこれを書いています笑

 

これはあくまで個人の考えですが、何か少しでも面白いなと思ってくれたらうれしいです。

 

以上です。

 

最後まで読んでいただきありがとうございました。

 

次回もこのページまで飛んできていただけたら幸いです。

 

ヤマザキナオト