須賀 敦子(1929-1998)先生は、
谷崎潤一郎、芥川龍之介、川端康成、
泉鏡花、志賀直哉、井上靖、石川淳、、、、以下略。
の著作(並べただけでははーっとひれ伏してしまいそう)を
イタリア語に紹介・翻訳された才媛中の才媛。
長く日本で、イタリアで、教鞭を取っておられました。
教え子のイタリア人日本文学研究者の先生からは
「小柄で年かさの日本人女性が、
細部にいたるまで完璧なイタリア語を操るのに驚嘆した」
との思い出を寄せられており、
翻訳された日本文学の数々も、その選択眼の確かさ。
(編集者にあらすじを説明し、GOサインが出て翻訳にとりかかる。
事前の説明で相手を納得させなければ出版の運びにはならない)
作家の精神世界と物語世界の格調・口吻を
他言語圏の読者の脳裏に浮かび上がらせる
クオリティの高さが伺えます。
もちろん、その世界では名が鳴り響いた方。
才気を認められ、
13年にわたるイタリア滞在の思い出を書き留めたのがこの本。
もちろん、肩肘ばった本ではありません。
ミラノの霧は、自動車のライトをも跳ね返す。
車は乗り捨てるしかない。さもなければ人が先導して走るしかない。
霧の中から浮かび上がり、
そして霧の彼方に消えていった人々の記憶。
この本のめるめる的魅力は、主に3つ。
○文章が良い♪
めるめる、こう見えても気難しく、読み始めた本、
途中で飽きてしまうこと
けっこうアリアリなのですが、
(筋立てよりも文章が何が言いたいのかがわからず
混乱してくると読みたくなくなる)
この本は読み通せました。
とある偉いセンセイが須賀敦子先生を評していわく。
「女学生の作文じゃないか。」
まっこと、的を得ています^^;
お利口さんの女の子の聡明さが伝わってくる
みずみずしくも柔らかで繊細で女性らしい文章。
そして学校の先生だから文章が密度濃く、
それでいて理屈が通って細部まで神経が行き届いていて
読み応えがあり、
読みながらひっかかる場所がなく滑らかに流れて頭に入る文章。
各章・各章の起承転結(12編のエッセイの連作です)を引っ張る、
技の冴えが、ひときわ、鮮やか。
○格好のイタリア案内の書♪
学識深い方(蔵書はイギリス文学、
イタリア文学はほぼ網羅していたとのお話)が
現地に長く滞在し、書かれた本ですから、
そんじょそこらのイタリアガイド本と、
内容の濃さは比べ物にならない。
(はず。なにしろめるめるは基本東洋命♪)
須賀先生は、はじめはパリで文学を学ばれ、
次第にイタリアの魅力に引かれ、
かの地に移住。
そして結婚。結婚6年めでご主人と死別され、
なお3年後、日本に帰国されています。
この間、はじめは学生として。
ついで結婚して。続いて仕事の関係などもあり、
イタリア各地を公私にわたって旅されます。
書かれていることは、
その土地ごとの歴史・遺構・名産品に始まり、
風土、慣習、住む人の気質、
そして土地にまつわる、
イタリア人なら誰もが知っているある時は古典であり、
ある時はイタリア文学に燦然と輝く文学作品であったり、
ドラマチックな詩の一節であったり。
見る目を持ち、語るべき言葉を持った人が
思い入れのあるイタリアを
じっくりと語りおこすのですから。
質といい量といい。リッチすぎる。
○汲めども尽きぬ人との繋がり。そして悲劇性。
須賀先生は、小学校から大学まで、聖心女子大で学ばれました。
はじめフランスに渡られた時も、
東京でのカトリックの神父さまの
紹介や口利き、伝手もおそらくはあったのでしょう。
出会う人、現れる人、
それぞれ思想的なバックボーンがしっかりしており、
一介の留学生が貴族の晩餐の招待を受けたり、
つかず離れず交流のあった女性が
レジスタンスの過去をもっていることを知ってびっくりしたり。
大学の友達には良家の子女もいれば
苦学して田舎から出てきた貧乏学生もいる。
翻訳の仕事で出会った編集者や仲間たちの毀誉褒貶。
輝いた日々のこと。時は流れ、ある人は死に、
ある人は年老い、またある人は遠くへ行ったと風の噂で聞き、
消息がわからない。
夫なしでは、生きていけなかったはずなのに。
今、自分は日本にいる。
哀しみは今もとめどなくあふれ、
なぜ、心ならずも、ここにいなければならないのだろう。
わからない。わからない。
とは、一言も書いてない。
でも、伝わってきます。決して人には見せない、慟哭が。
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