原節子(25日)ガルボ(26日)・ディートリッヒ(27日)・カラス(28日)。
続けて参りました。
女優さん、歌手さん。
みんな監督なりプロデューサーなりからの
依頼を受けてのお仕事で、
こういう言い方はいけないのかもしれませんが、
盛りはやはり若いうち。
オファーが来なくなれば
本人の意向はともかく引退・隠遁。
…でいいのでしょうか。
(毎日偉そうに書いてますがめるめるはただの観客、市井の1ファン)
しかし心底世の中がイヤになり、
もしくは世間とは相いれず
世間との接触を断つ。
その分野で有名になる人もいる。
有名どころでは
西行法師ですか。
----さびしさにたへたる人のまたもあれな
庵ならべん冬の山里(新古今和歌集)----
種田山頭火なんかも。
----------分け入っても分け入っても深い山----------
あとは、屏風とか襖絵によく描かれている
中国の
「竹林の七賢」 なんかも。
(政争に疲れ、全てのしがらみから離れ
自由に生きるため竹林へひきこもった
↑ …でいいのでしょうか)
(どの絵もどの絵も見るべきところはあるのでしょうが
あまりにもどこまでも全然イケメンじゃないから
絵を貼る気になれない)
どの人も人と関わり合いになるのを避け
世捨て人になるなら、
そこで消息はプツリと絶えるはずなのに。
「竹林の七賢」は3世紀。1,700年前。
西行法師は12世紀。800年前。
山頭火は70年前ですけど。
こんなに昔なのに。
文字が、記録が残っている。
どれも貴重な過去からの贈り物であり
残っていることにイチャモンつけるつもりはないのですが
めるめるの狭い固定観念では
世捨て人と言えば
人に認められたい欲望とは無縁。
自分がここにいることなど誰にも知られたくない。
だからひたすら、一人きりになりたかったんじゃないの~。。。
なのに、せっせと歌を詠んだりするのですね。
気の置けない人が訪ねてくれば断らず、
お相手をするくらいはまあ当然とし、譲りましょう。
しかし結局のところ取材!?になっちゃっている。
数々の逸話が残っている。
本になったりする。
歌人なんですから、
詠みたくないと思っても
歌が湧いて湧いて。
書き留めずにはいられない。きっとそうだ。そうなんだ。
(ブログの更新だけでアップアップのめるめるとは
えらい違いだ。。。。
歴史上の偉人と自分を比べる困った自分^^;)
そして作った歌を、誰かに託したりするのですよね。
だから後世に伝わっているのですよね。
世を捨てて生きるとは
ギラギラした向上心とは無縁の
清廉・淡泊・欲望にとらわれない、、、、
のはずなのに。
なんだかなんだか、行動が真逆だ。
もちろん、出来上がった作品は、また別です。
輝きが褪せることはないけれど。
心惹かれ、文字に見入った感激は今なお鮮烈ですけど。
余計な邪念や妄想が湧いてきて、困っちゃいます☆彡
