昨日の続きです。





「武士の娘」 杉本 鉞子 (著) (1925・日)

        大岩 美代 (翻訳)  。


東洋人の見た西洋を語り、

東洋を紹介する。




20150814




かつ紹介者は思慮深く、

語るべき言葉と中身を持った

東洋の人間であった。


英語で語られ、

アメリカで出版された本。


著者は


日本人として初めて

アメリカ・コロンビア大学の講師として

教壇に立たれ、


帰国されてからお

日本とアメリカの間に立ち

相互理解の架け橋となられた生涯。


(なんだか須賀敦子さまに似ている。。。

 鉞子先生はアメリカ。

 須賀敦子先生はイタリア。

 結婚が終わり、日本に戻ったのも、

 在外経験を日本でのキャリアに

 活かされたことも。)



本何回も読んでますから、

流れはだいたい知っていましたけど、


今回テレビを見て知ったこと、

あちこちを拾い読みして


書かれている内容を

補強する事実、


発掘されたエピソードは

尽きないものですね~。




鉞子さまは今の青山学院大学で英語を学ばれた。


学費免除の見返りに

(自治医科大学みたいなものでしょうか)

5年間、浅草で小学校教師を勤める。

(樋口一葉も同じころ浅草に住んでいたのだそうです)



鉞子様は旧幕府側、長岡藩の人間。


終生

鉞子さまを助けた

マダム・ウィルゾンの父は

南北戦争で奴隷制反対を唱えたため

不遇のうちに生涯を閉じなければならなかった。


どちらも、

賊軍の娘としての過去を

しょっている。


相通じるものがあったのでしょう。




それにしても、


未亡人となり、

2人の娘の教育のために


ニューヨークへ。


生活の目途など立たないままに。

旅立ってしまうのですから、

マダム・ウィルソンあってとは言え、

さすが、成功者は度胸があるとしか。。。



1916年再渡米。

1920年コロンビア大講師の職を得る。

(持った講義は日本語と日本文化)

1923年雑誌「ASIA」に「武士の娘」を連載。

1925年「A Daughter of the Samurai」出版。


本は瞬く間に版を重ね、

何か国語にも訳され、

その名は世界中に轟いたのです。



歴史に名を刻む女性はどうしても

私生活のふり幅に左右されます。

(不倫とか逮捕とか自殺とか)


そういうのと、無縁なんですね。


名をなしたのがアメリカであった、ということと


非の打ち所のない人生より

スキャンダラスでドラマチックな人生の方が


目を引くし。

見せ場ば多いし。



で、地味である。。。。


しかし本は順調に版を重ね、


ひそかに追いかけ続ける

めるめるの目から見れば、


何度目かの、

小さいかもしれないけど、

ブームがやってっきた。



番組で進行役を務められた

星野知子さんも

18才の時から「武士の娘」を

手放さなかったそうですし、


今回ググってみたら

鈴木杏さんの愛読書との検索結果が。



テレビのラストシーンは

杉本松雄・鉞子夫妻のお墓の前。

そして傍らには英文で刻まれた

マダム・フローレンス・ウィルソンの墓碑が。


感無量でした☆彡



めるめる、

女の子が生まれたら

名前は「花野」

(マダム・ウィルソンの「フローレンス」から取った

 鉞子さまの長女)

と名付けるのが、夢でした☆彡