Colorful_Real
『動植綵絵』の内「池辺群虫図」(1761-65頃・日) 伊藤若冲



本読みはじめ、
なんとなくつまらん。。。



途中で放り出したくなることありませんか。


めるめるは大ありです。


手元にあるということは。

タイトルなり装丁なり帯なり

書評などに惹かれたからです。


積んでおけばふとしたすき間時間に

手に取ることができるではないか。


古本とかも気にならないタチです。


ニーズに合う本であれば

アマゾンマーケットブレイスの

「品代1円、送料250円」の本を

嬉々として次々買いこみ


昔の本は

文庫本に色刷りのカバーがついているようになったの

 いつくらいからなんでしょうね~

 親の蔵書、文庫本だけど

 カバーは油紙だかハトロン紙)


紙の質も今とは違うらしく

なんとなくざらざらしており

色変わりして

抹茶色ならぬまっ茶色☆


活字も今とは違っているのでしょうか。

なんか文字にかすれが…。


最近は

「クリーニングして

お届けします。」


との表示も

目に付き、


本の

天(上)

地(下)

小口(背表紙じゃなくて紙の見える脇)


薄く切るのでしょうか…。

綺麗になって届きます。


古本の香りといいますか

ニオイといいますか。


も前ほどは

気にならないような気も…。


技術の進歩とは

スバラシイ☆彡



あだやおろそかに扱うつもりはなく。

やや大げさに言うなれば、

期待に胸ときめかせページを開く。


なのになのに。

それなりに一生懸命文字を追うのに。


何言ってるのか

何をいいたいのかが

さっぱりわからなくなってくる時がある。


これは、


めるめるに真剣味が足らず、

アタマが足りないからだと


自分で自分を責め、

心の中でキリリハチマキを絞め直し。


刻苦勉励の心も新たに

真剣に取り組んだものですが。



それは

自分が悪いのではなく、

読ませない本を作る方が悪いのだ。

とその昔

敬愛する方が書いているのを見て


そうか~、

本になっているからって理由だけで

有難がることは

ないのかもしれないな~


と心が軽くなったことを

覚えています。


で、たまる一方です。



今日読んでいた本では


500年くらい前


「本は何でも買う。

 よそより必ず高く買う」

との看板を掲げ、


何万冊もの

本を収集。


出版も手がけ、


蔵書の中から

同じ本を選び出し


さらにこれはとの

評判を普段から集めておき

頼み込んで

所蔵者から借り受け、

書き写す。

(注:500年前)


突合せて照合の上


お屋敷に

出版する本のジャンルに詳しい学者サマを

滞在させ、


審議にかけ、意見を聞きながら

作業を進めた…


とのくだりがありました。


気になる出版冊数は。







2・300冊。。。。。。



ペイするはずなど

始めからないのに。



貴重な資料として

今も広く世に知られているものも。


散逸し、

目録などで想像するしかないものも。



あるのだそうです。