宝塚時代は演技力抜群で知られ、
娘役トップ!
そして映画界入り。
付けた条件は、ただ一つ。
ギャランティはそんなにいらない。
ただ、いろいろな監督の映画に出たい。
この条件を付けられる実力と環境が、
戦後屈指の映画女優の誕生を決定づけました。
淡島千景さん。
日本映画の一つの黄金期、
昭和20~30年代。
松竹・新東宝・大映・東映・東宝・日活。
俳優さんたちはこの会社に雇われる身。
そして監督さんの力は絶大ですから、
一人の監督さんに気に入られてしまうと
(「小津組」「溝口組」「木下組」とか言います)
「あの人は○○組の人だから」
と他の監督作品に出るチャンスは減ってしまう。
「五社協定」なんて言葉もありました。
俳優さん、監督さんの引き抜きを禁止する。
他社への貸し出しは原則禁止。
貸し借りの世界です。
「あの人を貸すかわりに
この監督をウチに貸して1本撮らせろ」。
山本富士子さんなんか、
昭和に舞い降りた明治の美女でしたが、
ご結婚なさり、
今までのペースの仕事と家庭の両立は
とてもとても無理。
フリーになりたいんです、
とお願いしたのに、
この協定をタテにとられ
二度と銀幕に戻ってくることはなかった。
淡島千景さんは、
映画界に入る時から
会社に縛られることの功罪を知り、
声を上げ、主張を通した。
加え、
自分でこうしたい、ああしたい、
のほかに
でも、こうも見えるしこっちもあるよ、
の意見をきっちりと聞くのですね。
で、どうなったか。
出演された作品が、
選り抜きになる。
陽気なアプレゲール
(こんな言葉が終戦直後にあったのです)
でデビューし、
またたく間に一世を風靡。
したかと思えば
苦界に身を沈めながらも
気概を失わない女。
ダメな男に尽くし抜く可愛さ。
しっとりした奥様。
普通の可愛いお嬢さん…。
数々の映画史にのこる名監督の要求に
打てば響く才気と
申し分なき演技力で応え、
「淡島さんが出てくれるなら、そう言うなら」
とこの映画、あのテレビ、この舞台。
長谷川一夫さん、森繁久彌さん、
萬屋錦之介さん、、佐田啓二さん、…。
で今に残る作品がいくつも。
伝えられる談話の数々からは
おっとりしたお人柄が伝わってきます。
「周りの方々あって、ここまでくることができました」
「宝塚っていうのは、自分の意見が通るところではないんです。
ですから、監督さんの言うことを聞くのは
当然だと思ってました」
「映画は監督さんのものですから」
「私は何にも知りませんから…」
「共演される男優さんは、(役では)私を選ぶのですから
あの男性に値する女だとお客さんが納得してくれなければいけない。
いつもそれは、意識しています」
かの手塚治虫先生がぞっこんで、
「リボンの騎士」のサファイアは、
宝塚時代、
娘役でありながら男役を演じた淡島千景さんを見て
ひらめいた、とか。
