今日、午後2時46分ころに発生した地震は、予想されたあの大地震なんだと知ったときは驚きました。



 今日、地震や津波の被害に遭いなくなられた方々のご冥福をお祈りします。




 今日、地震が起きたとき、僕はコタツに入って作ったばかりのお地蔵さんの人形を見ていたときです。

 人形がカタカタと踊っていました、部屋中の吊るしてあるものが揺れていました。

 テレビをつけたら、もう今日の地震が起きていました。




 僕も阪神大震災のときに大阪の豊中市に住んでいて被災しました。


 そのときは、震源地近くにあった神戸の街や淡路島の多くの人々の苦悩があり、とても心配しました。




 僕の住んでいた豊中市でも震度5弱の揺れで多くの被害をうけました。そのときにある一つの別れというものを感じました。それは、私達の街では死亡者は少なくて幸せでしたが、被災した際に古い建物は全壊もしくは半壊という被害にあい、多くの古い建物が街から姿を消しました。過去との別れというものでしょうか?


 なんというか、近くの大きな建物も一階部分が駐車場になっている建物ですが、片側が崩れて斜めに傾いていました。地震の後に外に飛び出てきた自分の目に映った最初の恐ろしい光景でした。


 あの大きな揺れのために不安定な状態で崩れたその建物の前には、沢山の一戸建ての住宅が建ち並び、その後ろには大きなマンションが建っていました。いまにも崩れそうな建物はまだ中に沢山の人が住んでいます。

この後の余震で倒れでもしたら大きな被害にあいます。あわてて自宅に戻り、警察と消防に電話して僕は震えていました。近隣にも危険を知らせたと思いますが、気が動転していました。


 あの建物の中に入れない、そこにいたら危ない・・・とても恐ろしく感じました。


 しかし、祈るくらいのことはできました。それくらいしかできない自分、ちっぽけな存在に思えました。

でも、できることは他にもあると思いました。自分の家だってまだどうなっているのか判らなかった。


 

 あのときは、何をしていいのか何かと混乱しました。



 あの日の地震はそのときは世界が終わったかと思うくらいの怖さでした。



 その日、朝早く起きた僕はコーヒーをいれてテレビを見ていました。途中下車の旅という番組を見ながら、ベッドに座った状態でかなりくつろいだ様子でした。恐らく5時半くらいから放送していた番組だったと思います。


 それから異変が起きました。カタカタ・・・コトコト・・・何かがかすかに揺れ始めました。


 はじめは、何がなんだかわからずに、暫く考えていました。そのときまでにも震度2か3くらいの地震は一年以上前から頻繁に起きていたために、むしろ慣れた感じで、いつもと揺れが違うために気が付かなかったのです。


 その小さな揺れの異変に気が付いたときは、わが目を疑いました。テーブルの上のコーヒーカップの中のコーヒーに波紋が浮かんでは消えていきます。


 「なんで? たいして揺れていないのに???」 最初はそう思いましたが、その答えに気が付くまで、そう時間はかかりませんでした。



 カップの中心に波紋が集まって、コーヒーが跳ねている。



 いままで見たこともない光景にわが目を疑ったときに、あの最初の揺れが来ました。


 今度は、激しく左右にゆすられる感じで、ガタガタと揺られ、その揺れはだんだん大きくなりました。


 「うわっ、地震だ、大変だ!」 そしてあの悪夢が現実に現れたときの恐怖は・・・


 激しくゆすられる中、電灯の明かりが消えて、何から何までがひっくり返り、ベッドから投げ出されました。


 本棚から次々に本が落ちてきて、部屋中がほこりにまみれる中聞いた音はものすごいものでした。


 「ああ、建物がきしんで今にも崩れそうだ!」 「ものすごい、音と振動がわからなくする」


 ズズズズーという感じの地鳴りとゴゴゴゴンという建物のうなりと、そして最後に聞いた音は・・・


 ガラガラガラー、ズズズズズーン!!


 何処かで、なにか大きな建物が崩れていく音? 


 それが、あの近所の大きな建物が傾いたときに出した音だったのです。


 それが何なのかと外に飛び出してしまったのですが・・・





 暫くは、安心して過ごせました。あの建物はあれ以上は崩れることはなく、皆は近くの大きな公園に仮設住宅を建てて貰って暮らすことができるようになったのです。


 うちのマンションも一部が沈下して、壁が崩れたり、駐車場が割れてパズルみたいになったりしましたが、暮らせないほどではなかったので、半ば安心することができました。


 ガスや水道などが一時止まったりはしましたが、水がないときに近所のみんなと水を汲むために近くの公園の水道の前に並んだこと、ゴミを入れる大きなポリバケツを買って来て、それにいっぱいに水を入れて、親父と水を運んだことなんかはいい思い出になりました。



 あの日は、みんな多くのものを失いましたが、だれも負けていなかったと思います。



 あれから、神戸は復興し、今では皆が羨ましがるほどの美しい街に変わりました。豊中市も未来に向けて生まれ変わりました。なにごともなかったかのようにそこに人の営みがあります。


 あそこでは、もうみんなの顔に笑顔が戻りました、多くの苦労と助け合いの末に勝ち得たものは、きっと今まで以上の大きな宝物なのだと思います。


 もう、絶望は感じないのだろうと信じています。人はきっと強くなれる。


 だから、今回被災したみなさんも諦めないで。


 僕なんかがこんなこと書いても兵庫県に住む皆様の苦労を知らないから無意味かもしれない。


 でも、あの時は怖かった、みんな生きてほしかった、だからここに書きたい。




 けして、諦めないで、これからのことをしっかりと考えてほしい。


 負けるな、街はきっと帰ってくる。



 


 僕なりの、つまらない言葉ですが、ここに書かせていただきました。