頭の中が母乳にとらわれていて、こんなになわいいちぃちゃんとの53日を楽しめていたのだろうか?
神様のような時間を堪能できたのだろうか?
甚だ疑問です。

母乳にしかないメリットもあれば、ミルクにしかないメリットもある。
第一、成長した我が子が、
「何で母乳で育ててくれなかったの?母乳で育ててくれたら○○できたのに!」なんて言うわけない。 

分かっています。
分かってはいるつもりなんです。

昨日の夜間授乳、ちぃさんはほとんど拒否でした。
それは多分、吸ってもなかなか出てこないことがわかっているから。
「こちとら、腹ペコなんだよ!こんなポンコツおっぱいチマチマ吸ってられっか!はよあの飲みやすいやつ(=哺乳瓶)出さんかい!」
ってなところでしょう。
ちぃちゃんの望むものは分かっていたのに、それを満たしてやることもせず。
私は、少し大きな声で、ちぃちゃんに、

「ちぃちゃんが下手くそなんだよ!下手くそなのが悪いんじゃない!」

と言いました。
瞬間、私死ねばいいのにって思いました。
言葉が悪くてすみません。
でも、「私、死ね!」って思うほど、愚かで取り返しの付かない発言でした。

もう、辞めよう。
生まれてきてくれたちぃちゃんにこんな呪いの言葉を吐きかけるくらいなら辞めてしまえ。
お前のおっぱいがガチガチになろうが、痛かろうが、ちぃちゃんに呪いの言葉を浴びせるよりかははるかにマシだろうよ、と。
そんなふうに思いました。

それで、私、分かったことがあります。

私は子どもが大好きで、やさしくだいじに育てたいと思っています。
けど、もっと根っこの方では、
私自身、誰かに必要とされたい、
「あなたじゃなきゃダメなんです」と言われたいんです。
それを満たしてくれる最たるものが、自分の子どもであり、母乳育児なんだと。

昨日、他のママさんと交流する場所に行ってきました。
「母乳が出るけど哺乳瓶拒否が辛い。他の人に預けられないから」、って悩みの方が割といらっしゃって。

私は…預けたいなんて思わない。
『あなたじゃなきゃダメなんです』って言って欲しいのに、求められたいのに、人に預けられるってその反対だから。
そう思った時、ピコーン!と合点がいったんです。

私は、私自身の承認欲求を満たすために子どもを欲したんだ、と。
自分が親に満たしてもらえなかった承認欲求を、子どもを使って満たそうとしている。
だから、歪んでしまうんだ。
本質的には、与えたいんじゃない、与えられたいんだ。 

毒母レベルが高すぎて辟易します。
たとえば、私の母は、私に割と酷い暴力をする人でした。
私に向かってモノを投げ、その背後にあるガラス扉が割れる、
お風呂で泣いているのにお湯を大量にかけられる、
とか。
そうそう、ピアノの発表会が終わったときなんて「北京原人みたいな歩き方すんな」って言われました。
子どもの歩き方がみっともないって思うなら、一緒に歩いてなおしてやればいいものを。

それと…
ちぃちゃんを産んで思い出したことがあります。
私が就学前に性的被害にあったときの自分の母親の対応です。
知らない男に性器を触られる、といった被害にあいました。
家に戻って母に言うと、
「洗っておけ」とだけ言われ、私は一人でお風呂で洗いました。
女の子の母親になり、改めて、母親の対応の冷たさ、酷さに傷つきました。
アラフォーの私が、です。
未だに傷ついていて、時々チクチク痛みます。

私は、一番求める母親に承認してもらえなかった、
その大きな穴を、子どもを使って埋めようとしている。
「世界中であなただけ」って言われたい。

だから、母乳にこだわる。
自分の思い優先で、子どもの心を満たしてやることができない。
毒母だ。

でも、ここまで分かったんだから、私はこの問題について対処できるはずです。
そういう自分を見過ごさないで、立ち止まって考えよう。

私の母親は頭の悪い人でした。
愚かで頭の悪い、感情に支配された人。
私はあの人よりは頭がいい。
心の歪みと向き合って、行動を変えることができるはずです。
歪みを、無視しないこと。


とまぁ、こんなことを一日ぐるぐる考えました。
それを残しておこうと思いました。

暗くてごめんなさい。