「見合屋はじめて物語(仮題)」第3話。
そんじゃ今日は、私が結婚推奨派である背景について書いてみます。
若い頃の私、恋のことばっかり考えてた。
勉強が本分の学生時代も、いつもその時にしている恋愛問題でアタマがいっぱい。
年齢的に発情してたwっていうのもあるし、アイデンティティの確立の一環だったともいえるだろーね。
それこそこどもの頃から、夢はお嫁さんでお母さんだった気がする。
世間知らずだったからさあ、自分の母親がすごく幸せそうだったのでまずはそこを目指したかったんだね。
自分がどう社会の役に立つかはわからないけど、少なくとも、新しくおもしろい人間をこの世に生み出すことは、社会の役に立つっていうふうにも漠然と思ってた。
今もそれは変わっていない。
愉快な家族をつくりたい、というのが私の中期的な目標です。
おもしろい人間を産み育てるということは、それが可能なパートナーを探さなきゃならないということでもあるでしょ。
それから自分もおもしろい人間でなければならない。
だから、いい人とステキな恋をしたかったし、そこにたどり着くためにある程度いろんな恋をして経験を積んで、自分なりの「いい恋」を見極められるようにならなきゃって漠然と思ってた。
ほとんど下積み修行のつもりw
あと、なんか年齢的な縛りも人より感じてたかも。
20代後半に入るときはすごく焦ってたなあ。
もう下積みは十分したから、次こそ結婚を前提に付き合える人を見つけないと手遅れになる!って。
これは主観だからどうにもならないね。
いまどき30代とか40代での結婚もふつうだってのに、なぜそんなに焦っていたのか・・・。
たぶん、結婚によって改めて人生の方向が決まるって思ってた。
どんな人とどんな結婚をするかが決まらないと、その後のことが決まっていかないじゃん!ていう気持ちね。ほらキャリアも、ちょうど過渡期に入るお年頃だったからね。
納得して結婚したいから、恋愛期間にそれなりに時間をかけなきゃって思ってたし。
私個人がこういう感覚なので、周りの人とはギャップがあったりもした。
みんな、コイビトほしいとか言う割に、のんきにしすぎだよ!
はやく始めてはやすぎることはない。
でも反面、いつ始めたって遅すぎることはないともいえる。人生長いからね。
なんとなくキリのいい言葉が出てまとまっちゃったので、つづく。
若い頃の私、恋のことばっかり考えてた。
勉強が本分の学生時代も、いつもその時にしている恋愛問題でアタマがいっぱい。
年齢的に発情してたwっていうのもあるし、アイデンティティの確立の一環だったともいえるだろーね。
それこそこどもの頃から、夢はお嫁さんでお母さんだった気がする。
世間知らずだったからさあ、自分の母親がすごく幸せそうだったのでまずはそこを目指したかったんだね。
自分がどう社会の役に立つかはわからないけど、少なくとも、新しくおもしろい人間をこの世に生み出すことは、社会の役に立つっていうふうにも漠然と思ってた。
今もそれは変わっていない。
愉快な家族をつくりたい、というのが私の中期的な目標です。
おもしろい人間を産み育てるということは、それが可能なパートナーを探さなきゃならないということでもあるでしょ。
それから自分もおもしろい人間でなければならない。
だから、いい人とステキな恋をしたかったし、そこにたどり着くためにある程度いろんな恋をして経験を積んで、自分なりの「いい恋」を見極められるようにならなきゃって漠然と思ってた。
ほとんど下積み修行のつもりw
あと、なんか年齢的な縛りも人より感じてたかも。
20代後半に入るときはすごく焦ってたなあ。
もう下積みは十分したから、次こそ結婚を前提に付き合える人を見つけないと手遅れになる!って。
これは主観だからどうにもならないね。
いまどき30代とか40代での結婚もふつうだってのに、なぜそんなに焦っていたのか・・・。
たぶん、結婚によって改めて人生の方向が決まるって思ってた。
どんな人とどんな結婚をするかが決まらないと、その後のことが決まっていかないじゃん!ていう気持ちね。ほらキャリアも、ちょうど過渡期に入るお年頃だったからね。
納得して結婚したいから、恋愛期間にそれなりに時間をかけなきゃって思ってたし。
私個人がこういう感覚なので、周りの人とはギャップがあったりもした。
みんな、コイビトほしいとか言う割に、のんきにしすぎだよ!
はやく始めてはやすぎることはない。
でも反面、いつ始めたって遅すぎることはないともいえる。人生長いからね。
なんとなくキリのいい言葉が出てまとまっちゃったので、つづく。