不登校の甥っ子と自閉症の甥っ子をもつ叔父から

不登校の甥っ子と自閉症の甥っ子をもつ叔父から

この子たちと、叔父さんも一緒に生きていくよ

はっきりした理由が分からない不登校って、どうしたらよいのか・・・
いじめでもない、人間関係に悩んでもいない、勉強はできないけれど、字が読めないわけでも、
数字がわからないわけでもない。
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 もう中学3年の1月。

おじさんとしては気持ち的にはギリギリで、なんとか甥っ子は

通信制の高校に挑むことになりました。

 挑む、とは、つい2週間前に通信制高校に合格し、不登校から高校就学に、

まさに挑むという心境です。スタートラインに立ったにすぎないと言えば、そうなのかも

しれません。


 通信制高校に不登校の子が就学するのに、「受験」があるとは思っていなかった

というのが、偽らざるひと一月前の私の無知さ。この子がそんなハードルに挑めるのか?

だから、まず甥っ子に合格通知が送られてきたときは、ばあちゃんとおじさんは

たいへん喜びました。

 

 甥っ子の不登校に心を痛めるばあちゃんは、甥っ子に学校や受験を

どうするのかといった話題を、今はしてはいけないことを理解しつつも、

我慢まではできないようでした。


なぜか。
 

 今はしてはいけないものの、高齢のばあちゃんには明日は無いかも

しれない、今しかないのです。
 その焦りも分かる。だから、おじさんはばあちゃんを止められません。

 あんなにかわいがってくれたばあちゃんが、甥っ子のことで悔いを残して

逝くことになったら、

甥っ子はもう立ち直れないのではないか?

 そんなことも考えるのです。 

 甥っ子が不登校なってから、学校とか受験なんて単語を聞くと、うつむいて

うずくまってしまうので、なかなか口に出せなかったのですが、そうはいっても、

時間は止まってはくれません。

 もうリミットも近くなった12月。

 このままってわけにはいかないので、今後の進む方針の確認をしました。

具体的には、通信制の学校を目指してみようか、と。

 甥っ子自身も、もう通学制の高校、ましてや学力試験で競争するような受験は

対応できないことは分かっていたと思います。


 そもそも、通信制高校に決めるといっても相当な数があるわけで、

学校に行きたくない思考の子供が、どの通信制高校が自分に合っているかなんて、

思考するものだろうか…。おじさんにだって分からない。

 パンフレットを見ても良いことしか書いてないのだから、学校の中身が合う、合わないは

直感でしかない、と割り切って、おじさんの私が何校か話を聞きました。

 直感と言いながら、明確な基準は、家から近いこと。
 だって、近所の中学にだって行かないし、外に出たくないのだから、限られた登校日

だって1時間もかかったら行くはずがない。おじさんには確信の持てる情報は

この程度しかありません。

 

 自閉症の甥っ子は、聞き分けが良い。

静かにしなければならない場所は、その雰囲気に抗うことがない。
でも、多分、その雰囲気に怯えてるから抗えないというのが、

正しい理解かと思います。

 おじさんとの旅行は、ワガママを言って良いことにしているから、

予算や指定券の制約はあるものの、歩きたければ歩く。電車も降りたいところが

あったら降りる。

 だから、青春18切符は重宝するのだけれど、乗りたい列車がJRとは限らないから、

かえって高くつくこともあります。
 おじさんは甥っ子と同じく電車が好きだから話が通じるけれど、父親はそこが

理解できず車で行こうとします。甥っ子は、そこでうまく抵抗ができず、ただただ泣いて

いたことがありました。
 いやそこは理解してあげようよ、お父さん。

これはサボりなのではないか?

 甥っ子が学校を休みがちになった当初、お昼から学校に行くことがありました。

私たち大人からみると、お昼から登校する方が、よっぽどハードルが高いように

感じます。そんな時間に行ったら、クラスで奇異な目にさらされ強いストレスが

かかると思うから。
 そんなストレスに耐えられるのに、心が弱っていると言われても…

サボりたいだけなのではないかと思うのは、しかたがない。


 朝に起きられないのは本人のせいじゃない、だから病院で診てもらって対処しよう、

と、何度言ったことか。
 でも、甥っ子は病院に行こうとはしませんでした。

 診てもらえば、サボりではなく起立性調節障害や何かの疾患的な症状である、と、

本人も周囲も納得できるではないか。それでも診断を拒否するのは、診断したら

サボりであることが分かってしまうからなのか。こう考えてしまいます。
 

 可愛い甥っ子のことを、そんなふうには考えたくない。

 障害があるという診断は喜ぶべきことではありません。それは分かります。

が、悩んでいるのならば、寄り添おうとしている身内には歩み寄ってくれないものか、

と思うのです。