日経ビジネスオンラインにいい話が載っていたので
載せときます
第17回 大人が大人をしかっちゃ、ダメでしょう
部下に注意する時、忘れてはいけない大事な一言
そもそも大人が大人をしかれるのだろうか?
「しかっても部下がなかなか言うことを聞かない」という話を耳にする。これはしかる方に問題があるのだろうか、それとも言うことを聞かない方に問題があるのだろうか。
もちろん様々なケースがあって一概には言えないが、私はその上司に2つのことを言ってあげたい。1つは「そもそも大人が大人をしかれるのだろうか」という疑問だ。三省堂の国語辞典「スーパー大辞林」によると、【しかる】 とは「1.(目下の者に対して)相手のよくない言動をとがめて、強い態度で攻める。 2.怒る」とある。
目下とは「地位・年齢などが自分より下であること」だから、こと会社においては地位が上の上司が、下の部下に対して「強い態度で攻める」、あるいは「怒っている」状態となるだろう。上司は査定や評価、配属や異動の権限、あるいはそれ以上の力を持っている。逆らうと不利になるから最後はしぶしぶ従うけれども、自分なりに考えて行動した人ほど腹の底では納得できていない。
例えば、あらかじめ「自分で考えて行動してみろ」と言っておいて、自分の予期した行動でないと頭ごなしにしかる上司。部下からすれば、「だったら最初から“命令”してくれ」と言いたくなる。上司は部下に、まずはどう考えてその行動を取ったのかを聞くべきだ。そのうえで、両者の考え方や判断の違いを話し合えばいい。時には部下の行動の方が理にかない、良い判断の場合もある。
部下に最後まで一人で判断して行動させると不安なのであれば、途中で報告させればいいまでだ。どのタイミングで報告させるべきかが経験上分かるからこそ、上司には上司としての価値があり、部下に考えさせて経験を積ませ、育てることができる。
経験が少ない間は失敗も多い。だがそのことは本人が一番分かっている。彼(彼女)はまた失敗したいなどと思ってはいないわけで、しかったり、怒ったところで何も解決しない。原因をはっきりさせて、二度と起こらないようにすればいい。原因はまず本人に考えてもらい、必要ならアドバイスをする。後は次からの行動を変えるだけだ。どこにもしかる理由はない。
そもそも相手も大人だ。普通の常識がある大人を、大人がしかれるだろうか。(もしあなたの部下に普通の常識がないと思うなら、次の採用の時にはぜひ親御さんにも会っておくべきだ。普通の常識のある大人に育つかどうかの責任のほとんどは、学校でも社会でもなく親にあると私は思う)。
皆さんは大人になってから、親以外の誰かにしかられたり、怒られたことが何回あるだろうか。
年功序列と終身雇用が常識だった時代をご存知の方は、職場で上司や先輩から、新人時代からいい年になってまで何度もしかられた経験をお持ちだろう。ではなぜ、何度もあるいはこっぴどくしかられても、素直に言うことを聞けたのか。当時の部下たちは、今の若い人より性格がずっと素直だったからだろうか。
いや違う。そこには互いの信頼関係があったからだ。
目的の実現に向けては、社長もアルバイトも同じ立場
年功序列と終身雇用が崩れ始めるとともに、職場における上下関係は変容した。職人の世界にある、親方と弟子のような関係は既にない。
社歴でいえば、中途採用で最近入社した上司よりも、部下の方が長い。各社独自のやり方や文化が根強い社内では、上司の方が社会人としての経験やノウハウで上回っていても、仕事上の経験においては後輩が勝ってしまう。上司が、新風を期待されて異業種から飛び込んだ場合などはなおさらだ。そこには「自分より長くこの会社にいて、仕事のやり方にも詳しいから」という無条件の上下関係は、前提として存在しない。
社内の異動も以前とは違う。一定のローテーションを経れば、適性を判断されて1つの部署に落ち着いた時代から、今では何年たっても関連会社を含めて異動辞令の可能性がある。市場の変化が速くなり、それに合わせて組織と人を動かさなければならないからだ。
会社間での人の移動、社内での異動と見てくると、上司と部下の関係が希薄になっていることが分かる。ノミニケーションや社内行事なども減ったこともあるが、すでに構造的にコミュニケーションの量と質が低下しているのだ。
そうした中で、古き良き時代の信頼関係を基盤とした、上司が部下を「しかる、怒る」ということ自体が成立しなくなっている。しかし私はそんな時代を憂いてはいない。むしろお互いに大人としての関係を築けるチャンスなのではないかとさえ思っている。
拙著やこれまでのコラムをお読みいただいた方は、既にご存じと思うが、私は「社長や部長や課長は単なる役割の違いでしかない。目指す目的に向かっては同じ立場であり、そこには上下の関係はない」と考えている。
「夢の王国」という目的の実現を目指し続けるディズニーランド。もしも社長が園内を見に来ていた時、「夢の王国」にふさわしくない小さなゴミが道に落ちていたらどうするか。社長は掃除係のアルバイトを呼び付けてしかり、彼(彼女)に拾わせるだろうか。アルバイトを管理する上司の責任だとして、上司を呼びつけて拾わせるだろうか。
いずれでもない。社長は迷うことなく、黙って自分でゴミを拾うのだ。なぜなら、「夢の王国の実現」というディズニーランドが目指す目的の実現においては、社長もアルバイトも同じ立場であると分かっているからだ。もちろん社長がゴミを拾っている姿に気づいたアルバイトは、二度と同じことがないようにとさらに努力をするだろう。そうすればゴミは消える。それでいい。
2010年の高校野球で甲子園春夏連覇を果たしたことで記憶に新しい沖縄・興南高校は、その強さもさることながら、1年生も3年生も関係なく全員で雑用も荷物運びもする指導方法が話題になった。我喜屋(がきや)優監督は、社会人経験があり、大昭和製紙北海道では野球部の監督として都市対抗で優勝もしている人だ。
我喜屋さんは、野球を通して人間として成長するという目的や、全国制覇という目標の前では、1年生も3年生も、先輩も後輩もなく、全員が同じ立場であると伝えたかったのではないか。そして先輩には、後輩に対して威張ることではなく、模範であり彼らの面倒を見ることを求めた。
3年生のエースとしてチームを引っ張っていた島袋洋奨選手がチームの規則を破った際は、1週間練習に参加させなかった。彼は連日反省文を書いて草むしりをして過ごし、マスコミにも注目されておごっていた自分、先輩としてのあるべき姿に気づいたという。
もはや会社においては、在籍期間が長いから、役職があるから先輩や上司なのではない。後輩たちを指導し、育てようとすることで、あるいは後輩たち以上に努力を重ねている姿や実績を見せることで、自然と尊敬されて先輩や上司として認められるようになる。
そこにはしかる、しかられるという一方的な上下関係は存在しない。冒頭で登場した上司に私が言ってあげたい2つ目はこのことだ。
子どものしかり方に学ぶ、部下への注意の仕方、気づかせ方
冒頭の上司はこう聞くだろう。「じゃあ、どうやってしかることなく部下を指導すればいいのだ」と。
もちろん信頼関係があれば、時にはしかるという伝え方があってもいい。親子の関係がそうだ。信頼関係さえあれば、親は子どものためになると思えばしかる。もちろん、必要最低限であって、しからないで指導できればその方がいい。何度もしかると子どもは委縮してしまい、自主性を失っていく。それは社長に一方的にしかられて社員が自主性を失っていく、ワンマンな会社の姿に重なる。
信頼関係を築くには実績がいる。親子であっても小さいころから愛情を持って接してきたという長年の実績があるからこそ、「しかる」が成り立っている。いわんや部下との関係がまだこれからの上司がいきなりしかっても、部下がついてくるはずがない。特に若い世代の社員にとっては、個人差はあるものの、しかられて成長したと思える経験が少ない。上司がしかっても、ただ反感を買うだけだろう。
しかるのではなく、本人のためを思って「注意」をしてあげるのであれば、何回かに一度はこちらの気持ちが届くことがある。
電車の中で大音量で携帯型音楽プレーヤーをかけて音漏れしている人に、「うるさいぞ!」としかるとすごまれるかもしれない。では「音が漏れていて周りの人も迷惑していますよ」と言えばどうだろう。周りに迷惑を掛けたいと思っていない人であれば、掛けている自分に気づき音量を下げてくれる可能性が高い。これは想像ではなく実体験だ。
単なる「注意」も人によっては「しかられた」と受け止める人もいる。多くの人の前で「しかられた」と感じれば、素直に聞けない場合もある。職場で多少の信頼関係さえあれば、できればそんな「注意」をストレートに口にするまでもなく、本人が自然と「気づく」場面を用意したいと思う。事を荒立てたくないとか、嫌われたくないと思っているわけではない。本人が自然と「気づく」ことの方が、「しかる」よりも「注意」するよりも効果が大きいし、本人の成長にもつながるからだ。
このコラムの「第14回 教えても人は育たない、プレーヤー自身に気づかせよ」で触れたが、You cannot teach a man anything; you can only help him to find it within himself.(人は他人に何も教えることはできない。ただできるのは、本人が自分で“気づく”ことを助けることだ) Galileo Galilei(ガリレオ・ガリレイ)。その通りだと思う。
今回、「しかる」をテーマに書くに当たって、職場でのしかり方について書かれた本とともに、子どものしかり方に関する本も集めてみた。むしろ後者の方から職場で上司が部下を「しかる」のではなく、「注意」をしたり、「気づく」ことを促すうえでのヒントが見つかった。
幼児教育をはじめ多岐にわたる研究や、任天堂の携帯型ゲーム機「ニンテンドーDS」用のゲームソフト「レイトン教授」シリーズの監修でも有名な多湖輝(たご あきら)氏は、著書『しかり方がうまい親の習慣』(中経文庫)の中でこう書いている。
「人はしかられる時、決して穏やかではいられません。しかられるということは、こちらが何かやりたいと思っている時に(中略)、それをしてはいけないと欲求を阻止されるわけですから、反抗心や怒りがこみ上げてくるのは当然のことなのです」
そして本書では親が子どもに対して「“しからないしかり方”でしかる以上の効果を上げる方法を中心に、それでもしからなければならなかった時のフォローの仕方など」の知恵が書かれている。
多湖さんは次のように指摘する。「子どもにこうしなさいと言うのは逆効果である」。「こうしなさい」で育った子どもは、自主性を失い指示待ち族になってしまう。それでは子どもは成長できない。
心理セラピストでもある星一郎氏は、著書『アドラー博士が教える「こんな一言」で子どものやる気は育つ』(青春文庫)の中で次のように触れている。しかることで「約束や反省を強制するのではなく、次の方法を提案する」ことだと。これはアドラー法則の6番目に当たるものだ。ちなみにアドラー博士とは、オーストリア出身の精神科医であり、著名な心理学者だ。
アドラー法則の最後である7番目は、「“YOU(あなたは)メッセージではなく、I(私は)メッセージ”で伝えよう」だ。Iメッセージで提案することで、子どもを一方的にしかる必要はなくなり、彼らは委縮しないで済む。例を挙げれば「人の物を取ったらダメじゃないの」ではなく、「あなたが黙って人の物を取ったら、お父さんは(お母さんは)悲しい」と話すのだ。
職場においてはこの提案は、やはり親子に準ずるような上司と部下の信頼関係が前提となるだろうが、ここに周りや会社の状況を添えてはどうだろう。「あなたがそうした行動を取ったら、周りのメンバーはどんな状態になり、どんな気持ちになるだろう。会社はどうなるだろう、その結果あなた自身が困らないだろうか」と。
社員は辞めてもらうか、活かすしかない
それでも「私の部下にはどうしようもないやつがいる。採用ミスなら今度から気をつけるが、彼(彼女)をどうすればいいのだ」と訴える上司がいるかもしれない。
これは私がある大手企業の企業理念をコンサルティングしていた時の話だ。オーナーである社長はある役員の処遇について迷っていて、私に相談してきた。
「武田さん、あの役員にはマネジメント上の問題があるという声を現場からいくつも聞いています」。私はコンサルティングに当たって、社長や経営側の言い分だけを一方的に聞いているだけではない。積極的に現場の声を聞くようにしている。現場が幸せに働けなければ、会社は決して良くはならないからだ。その役員のマネジメントに対する不満は、私もずいぶん耳にしていた。私は社長に質問した。「ではその役員にはご退任いただきますか」。社長は「いや彼は創業期から当社を支えてきてくれたし、担当業務への能力は高い。だから切りたくない」と答えた。
本人も役割を果たせなければ2年で退任させられる覚悟で、高い役員報酬を手にしているのだから、果たせないと分かった時点で退任を迫ることには問題はない。任期途中がまずければ、次の改選まで待つだけだ。
私はその社長にこう話した。「分かりました。マネジメントに問題があると分かっている彼を置いておくのは社長の判断です。ただし部下たちは上司である彼をクビにはできません。だから彼が抱える問題は社長が何とかしてください。彼を置いておきたいなら、その覚悟を持って置いてください」と。
社長と役員の事例をお話ししたが、上司と部下の関係でも同じだと私は考えている。どうしようもない部下を雇い続けるかどうかを判断するのは会社であり、最終的には社長だ。この会社が目指す目的や価値観、ルールにどうしても共感できないのであれば、辞めてもらった方がいい。本人にとっても幸せな道だと分かってもらおう。
しかしそこまでの話ではなくて、彼(彼女)を雇うと覚悟を決めたのなら、「あいつはどうしようもない」などと言っている場合ではない。市場が変化し、国際的な競争力が求められている現在、一人の社員も遊ばせている余裕などないはずだ。であるならば、どんな社員であっても活かすしかないのだ。
お会いする経営者の中には、「うちの社員はレベルが低くて・・・」と口にする人がいる。謙遜しての発言かもしれないが、私にしてみれば、それは経営者として社員を活かす力がないことを告白しているだけしか聞こえない。
「社員は辞めてもらうか、活かすしかない」のだ。今後も雇うと決めた以上、「あいつはどうしようもない」とか「うちの社員はレベルが低くて・・・」と口にしてはいけない。社長だけでなく、幹部としての役割を担っている役員、部長、課長もしかりだ。
そして様々な部下たちの力を活かしたければ、しかっている場合ではない。
部下に注意する時、忘れてはいけない大事な一言
先日、しかることについて悩んでいたある社長から、「信頼関係が十分と言える場合を除いて、基本的には部下をしかってはいけないということは分かりました。けれどもしからないで注意しても、同じように元気をなくしてしまう社員も少なくないのです。どうすればいいでしょうか」というご相談をいただいた。
コーチングの手法などを使って、本人に気づかせるのが最善の方法であることは既に述べたが、現実にはなかなかうまくいかない。しかったり、怒ったりしないまでも、信頼関係が十分に築けていない部下に対して、どのように「注意」をすればいいのだろう。
私はその社長にはこのようにアドバイスした。相手の立場に立って「注意」をするという姿勢がまずは大切だが、それだけに終わらず、部下に対する「期待」や「要望」を添えてくださいと。
例えば部下が思わぬ失敗をしたとしよう。本人が失敗したことを反省していれば、しかることは逆効果だ。自分の感情に任せてしかるのではなく、相手の立場に立ってなぜそうなってしまったかの原因をはっきりさせ、二度と起こらないように支援すればいい。そのうえで次の言葉をかけるのだ。
「あなたが失敗しようと思って失敗したのではないことは分かっているよ。あなたはもっとできると私は信じています。一緒にもっと上を目指していこうよ!」
私は社長に言った。「社員を雇い続ける以上は、活かすしかないのです。社員を活かすために必要なのは感情的にしかるのではなく、注意しつつも期待や要望を添えることです」と。いくら働く職場が約束されていたとしても、誰からも期待も要望もない仕事はつらい。
「期待」だけで十分で、あえて「要望」を口にしない方がいい時もあるが、「注意」に対して「期待」や「要望」が加わることで、部下は自分が期待されていることを意気に感じるはずだ。彼らは今の職場で「どうしようもない」存在ではなく、大いにやる気になり、戦力となってくれることだろう。
載せときます
第17回 大人が大人をしかっちゃ、ダメでしょう
部下に注意する時、忘れてはいけない大事な一言
そもそも大人が大人をしかれるのだろうか?
「しかっても部下がなかなか言うことを聞かない」という話を耳にする。これはしかる方に問題があるのだろうか、それとも言うことを聞かない方に問題があるのだろうか。
もちろん様々なケースがあって一概には言えないが、私はその上司に2つのことを言ってあげたい。1つは「そもそも大人が大人をしかれるのだろうか」という疑問だ。三省堂の国語辞典「スーパー大辞林」によると、【しかる】 とは「1.(目下の者に対して)相手のよくない言動をとがめて、強い態度で攻める。 2.怒る」とある。
目下とは「地位・年齢などが自分より下であること」だから、こと会社においては地位が上の上司が、下の部下に対して「強い態度で攻める」、あるいは「怒っている」状態となるだろう。上司は査定や評価、配属や異動の権限、あるいはそれ以上の力を持っている。逆らうと不利になるから最後はしぶしぶ従うけれども、自分なりに考えて行動した人ほど腹の底では納得できていない。
例えば、あらかじめ「自分で考えて行動してみろ」と言っておいて、自分の予期した行動でないと頭ごなしにしかる上司。部下からすれば、「だったら最初から“命令”してくれ」と言いたくなる。上司は部下に、まずはどう考えてその行動を取ったのかを聞くべきだ。そのうえで、両者の考え方や判断の違いを話し合えばいい。時には部下の行動の方が理にかない、良い判断の場合もある。
部下に最後まで一人で判断して行動させると不安なのであれば、途中で報告させればいいまでだ。どのタイミングで報告させるべきかが経験上分かるからこそ、上司には上司としての価値があり、部下に考えさせて経験を積ませ、育てることができる。
経験が少ない間は失敗も多い。だがそのことは本人が一番分かっている。彼(彼女)はまた失敗したいなどと思ってはいないわけで、しかったり、怒ったところで何も解決しない。原因をはっきりさせて、二度と起こらないようにすればいい。原因はまず本人に考えてもらい、必要ならアドバイスをする。後は次からの行動を変えるだけだ。どこにもしかる理由はない。
そもそも相手も大人だ。普通の常識がある大人を、大人がしかれるだろうか。(もしあなたの部下に普通の常識がないと思うなら、次の採用の時にはぜひ親御さんにも会っておくべきだ。普通の常識のある大人に育つかどうかの責任のほとんどは、学校でも社会でもなく親にあると私は思う)。
皆さんは大人になってから、親以外の誰かにしかられたり、怒られたことが何回あるだろうか。
年功序列と終身雇用が常識だった時代をご存知の方は、職場で上司や先輩から、新人時代からいい年になってまで何度もしかられた経験をお持ちだろう。ではなぜ、何度もあるいはこっぴどくしかられても、素直に言うことを聞けたのか。当時の部下たちは、今の若い人より性格がずっと素直だったからだろうか。
いや違う。そこには互いの信頼関係があったからだ。
目的の実現に向けては、社長もアルバイトも同じ立場
年功序列と終身雇用が崩れ始めるとともに、職場における上下関係は変容した。職人の世界にある、親方と弟子のような関係は既にない。
社歴でいえば、中途採用で最近入社した上司よりも、部下の方が長い。各社独自のやり方や文化が根強い社内では、上司の方が社会人としての経験やノウハウで上回っていても、仕事上の経験においては後輩が勝ってしまう。上司が、新風を期待されて異業種から飛び込んだ場合などはなおさらだ。そこには「自分より長くこの会社にいて、仕事のやり方にも詳しいから」という無条件の上下関係は、前提として存在しない。
社内の異動も以前とは違う。一定のローテーションを経れば、適性を判断されて1つの部署に落ち着いた時代から、今では何年たっても関連会社を含めて異動辞令の可能性がある。市場の変化が速くなり、それに合わせて組織と人を動かさなければならないからだ。
会社間での人の移動、社内での異動と見てくると、上司と部下の関係が希薄になっていることが分かる。ノミニケーションや社内行事なども減ったこともあるが、すでに構造的にコミュニケーションの量と質が低下しているのだ。
そうした中で、古き良き時代の信頼関係を基盤とした、上司が部下を「しかる、怒る」ということ自体が成立しなくなっている。しかし私はそんな時代を憂いてはいない。むしろお互いに大人としての関係を築けるチャンスなのではないかとさえ思っている。
拙著やこれまでのコラムをお読みいただいた方は、既にご存じと思うが、私は「社長や部長や課長は単なる役割の違いでしかない。目指す目的に向かっては同じ立場であり、そこには上下の関係はない」と考えている。
「夢の王国」という目的の実現を目指し続けるディズニーランド。もしも社長が園内を見に来ていた時、「夢の王国」にふさわしくない小さなゴミが道に落ちていたらどうするか。社長は掃除係のアルバイトを呼び付けてしかり、彼(彼女)に拾わせるだろうか。アルバイトを管理する上司の責任だとして、上司を呼びつけて拾わせるだろうか。
いずれでもない。社長は迷うことなく、黙って自分でゴミを拾うのだ。なぜなら、「夢の王国の実現」というディズニーランドが目指す目的の実現においては、社長もアルバイトも同じ立場であると分かっているからだ。もちろん社長がゴミを拾っている姿に気づいたアルバイトは、二度と同じことがないようにとさらに努力をするだろう。そうすればゴミは消える。それでいい。
2010年の高校野球で甲子園春夏連覇を果たしたことで記憶に新しい沖縄・興南高校は、その強さもさることながら、1年生も3年生も関係なく全員で雑用も荷物運びもする指導方法が話題になった。我喜屋(がきや)優監督は、社会人経験があり、大昭和製紙北海道では野球部の監督として都市対抗で優勝もしている人だ。
我喜屋さんは、野球を通して人間として成長するという目的や、全国制覇という目標の前では、1年生も3年生も、先輩も後輩もなく、全員が同じ立場であると伝えたかったのではないか。そして先輩には、後輩に対して威張ることではなく、模範であり彼らの面倒を見ることを求めた。
3年生のエースとしてチームを引っ張っていた島袋洋奨選手がチームの規則を破った際は、1週間練習に参加させなかった。彼は連日反省文を書いて草むしりをして過ごし、マスコミにも注目されておごっていた自分、先輩としてのあるべき姿に気づいたという。
もはや会社においては、在籍期間が長いから、役職があるから先輩や上司なのではない。後輩たちを指導し、育てようとすることで、あるいは後輩たち以上に努力を重ねている姿や実績を見せることで、自然と尊敬されて先輩や上司として認められるようになる。
そこにはしかる、しかられるという一方的な上下関係は存在しない。冒頭で登場した上司に私が言ってあげたい2つ目はこのことだ。
子どものしかり方に学ぶ、部下への注意の仕方、気づかせ方
冒頭の上司はこう聞くだろう。「じゃあ、どうやってしかることなく部下を指導すればいいのだ」と。
もちろん信頼関係があれば、時にはしかるという伝え方があってもいい。親子の関係がそうだ。信頼関係さえあれば、親は子どものためになると思えばしかる。もちろん、必要最低限であって、しからないで指導できればその方がいい。何度もしかると子どもは委縮してしまい、自主性を失っていく。それは社長に一方的にしかられて社員が自主性を失っていく、ワンマンな会社の姿に重なる。
信頼関係を築くには実績がいる。親子であっても小さいころから愛情を持って接してきたという長年の実績があるからこそ、「しかる」が成り立っている。いわんや部下との関係がまだこれからの上司がいきなりしかっても、部下がついてくるはずがない。特に若い世代の社員にとっては、個人差はあるものの、しかられて成長したと思える経験が少ない。上司がしかっても、ただ反感を買うだけだろう。
しかるのではなく、本人のためを思って「注意」をしてあげるのであれば、何回かに一度はこちらの気持ちが届くことがある。
電車の中で大音量で携帯型音楽プレーヤーをかけて音漏れしている人に、「うるさいぞ!」としかるとすごまれるかもしれない。では「音が漏れていて周りの人も迷惑していますよ」と言えばどうだろう。周りに迷惑を掛けたいと思っていない人であれば、掛けている自分に気づき音量を下げてくれる可能性が高い。これは想像ではなく実体験だ。
単なる「注意」も人によっては「しかられた」と受け止める人もいる。多くの人の前で「しかられた」と感じれば、素直に聞けない場合もある。職場で多少の信頼関係さえあれば、できればそんな「注意」をストレートに口にするまでもなく、本人が自然と「気づく」場面を用意したいと思う。事を荒立てたくないとか、嫌われたくないと思っているわけではない。本人が自然と「気づく」ことの方が、「しかる」よりも「注意」するよりも効果が大きいし、本人の成長にもつながるからだ。
このコラムの「第14回 教えても人は育たない、プレーヤー自身に気づかせよ」で触れたが、You cannot teach a man anything; you can only help him to find it within himself.(人は他人に何も教えることはできない。ただできるのは、本人が自分で“気づく”ことを助けることだ) Galileo Galilei(ガリレオ・ガリレイ)。その通りだと思う。
今回、「しかる」をテーマに書くに当たって、職場でのしかり方について書かれた本とともに、子どものしかり方に関する本も集めてみた。むしろ後者の方から職場で上司が部下を「しかる」のではなく、「注意」をしたり、「気づく」ことを促すうえでのヒントが見つかった。
幼児教育をはじめ多岐にわたる研究や、任天堂の携帯型ゲーム機「ニンテンドーDS」用のゲームソフト「レイトン教授」シリーズの監修でも有名な多湖輝(たご あきら)氏は、著書『しかり方がうまい親の習慣』(中経文庫)の中でこう書いている。
「人はしかられる時、決して穏やかではいられません。しかられるということは、こちらが何かやりたいと思っている時に(中略)、それをしてはいけないと欲求を阻止されるわけですから、反抗心や怒りがこみ上げてくるのは当然のことなのです」
そして本書では親が子どもに対して「“しからないしかり方”でしかる以上の効果を上げる方法を中心に、それでもしからなければならなかった時のフォローの仕方など」の知恵が書かれている。
多湖さんは次のように指摘する。「子どもにこうしなさいと言うのは逆効果である」。「こうしなさい」で育った子どもは、自主性を失い指示待ち族になってしまう。それでは子どもは成長できない。
心理セラピストでもある星一郎氏は、著書『アドラー博士が教える「こんな一言」で子どものやる気は育つ』(青春文庫)の中で次のように触れている。しかることで「約束や反省を強制するのではなく、次の方法を提案する」ことだと。これはアドラー法則の6番目に当たるものだ。ちなみにアドラー博士とは、オーストリア出身の精神科医であり、著名な心理学者だ。
アドラー法則の最後である7番目は、「“YOU(あなたは)メッセージではなく、I(私は)メッセージ”で伝えよう」だ。Iメッセージで提案することで、子どもを一方的にしかる必要はなくなり、彼らは委縮しないで済む。例を挙げれば「人の物を取ったらダメじゃないの」ではなく、「あなたが黙って人の物を取ったら、お父さんは(お母さんは)悲しい」と話すのだ。
職場においてはこの提案は、やはり親子に準ずるような上司と部下の信頼関係が前提となるだろうが、ここに周りや会社の状況を添えてはどうだろう。「あなたがそうした行動を取ったら、周りのメンバーはどんな状態になり、どんな気持ちになるだろう。会社はどうなるだろう、その結果あなた自身が困らないだろうか」と。
社員は辞めてもらうか、活かすしかない
それでも「私の部下にはどうしようもないやつがいる。採用ミスなら今度から気をつけるが、彼(彼女)をどうすればいいのだ」と訴える上司がいるかもしれない。
これは私がある大手企業の企業理念をコンサルティングしていた時の話だ。オーナーである社長はある役員の処遇について迷っていて、私に相談してきた。
「武田さん、あの役員にはマネジメント上の問題があるという声を現場からいくつも聞いています」。私はコンサルティングに当たって、社長や経営側の言い分だけを一方的に聞いているだけではない。積極的に現場の声を聞くようにしている。現場が幸せに働けなければ、会社は決して良くはならないからだ。その役員のマネジメントに対する不満は、私もずいぶん耳にしていた。私は社長に質問した。「ではその役員にはご退任いただきますか」。社長は「いや彼は創業期から当社を支えてきてくれたし、担当業務への能力は高い。だから切りたくない」と答えた。
本人も役割を果たせなければ2年で退任させられる覚悟で、高い役員報酬を手にしているのだから、果たせないと分かった時点で退任を迫ることには問題はない。任期途中がまずければ、次の改選まで待つだけだ。
私はその社長にこう話した。「分かりました。マネジメントに問題があると分かっている彼を置いておくのは社長の判断です。ただし部下たちは上司である彼をクビにはできません。だから彼が抱える問題は社長が何とかしてください。彼を置いておきたいなら、その覚悟を持って置いてください」と。
社長と役員の事例をお話ししたが、上司と部下の関係でも同じだと私は考えている。どうしようもない部下を雇い続けるかどうかを判断するのは会社であり、最終的には社長だ。この会社が目指す目的や価値観、ルールにどうしても共感できないのであれば、辞めてもらった方がいい。本人にとっても幸せな道だと分かってもらおう。
しかしそこまでの話ではなくて、彼(彼女)を雇うと覚悟を決めたのなら、「あいつはどうしようもない」などと言っている場合ではない。市場が変化し、国際的な競争力が求められている現在、一人の社員も遊ばせている余裕などないはずだ。であるならば、どんな社員であっても活かすしかないのだ。
お会いする経営者の中には、「うちの社員はレベルが低くて・・・」と口にする人がいる。謙遜しての発言かもしれないが、私にしてみれば、それは経営者として社員を活かす力がないことを告白しているだけしか聞こえない。
「社員は辞めてもらうか、活かすしかない」のだ。今後も雇うと決めた以上、「あいつはどうしようもない」とか「うちの社員はレベルが低くて・・・」と口にしてはいけない。社長だけでなく、幹部としての役割を担っている役員、部長、課長もしかりだ。
そして様々な部下たちの力を活かしたければ、しかっている場合ではない。
部下に注意する時、忘れてはいけない大事な一言
先日、しかることについて悩んでいたある社長から、「信頼関係が十分と言える場合を除いて、基本的には部下をしかってはいけないということは分かりました。けれどもしからないで注意しても、同じように元気をなくしてしまう社員も少なくないのです。どうすればいいでしょうか」というご相談をいただいた。
コーチングの手法などを使って、本人に気づかせるのが最善の方法であることは既に述べたが、現実にはなかなかうまくいかない。しかったり、怒ったりしないまでも、信頼関係が十分に築けていない部下に対して、どのように「注意」をすればいいのだろう。
私はその社長にはこのようにアドバイスした。相手の立場に立って「注意」をするという姿勢がまずは大切だが、それだけに終わらず、部下に対する「期待」や「要望」を添えてくださいと。
例えば部下が思わぬ失敗をしたとしよう。本人が失敗したことを反省していれば、しかることは逆効果だ。自分の感情に任せてしかるのではなく、相手の立場に立ってなぜそうなってしまったかの原因をはっきりさせ、二度と起こらないように支援すればいい。そのうえで次の言葉をかけるのだ。
「あなたが失敗しようと思って失敗したのではないことは分かっているよ。あなたはもっとできると私は信じています。一緒にもっと上を目指していこうよ!」
私は社長に言った。「社員を雇い続ける以上は、活かすしかないのです。社員を活かすために必要なのは感情的にしかるのではなく、注意しつつも期待や要望を添えることです」と。いくら働く職場が約束されていたとしても、誰からも期待も要望もない仕事はつらい。
「期待」だけで十分で、あえて「要望」を口にしない方がいい時もあるが、「注意」に対して「期待」や「要望」が加わることで、部下は自分が期待されていることを意気に感じるはずだ。彼らは今の職場で「どうしようもない」存在ではなく、大いにやる気になり、戦力となってくれることだろう。

