フェイスブックに時々「過行くは若き日々~♫ 」として現役時代の過去の想い出を投稿しています。6年前の今日は以下のような投稿をしていましたが、ブログには残していなかったことに気づきました。今日少し改訂して残しておこうと思います。

 

 

1980年4月21日沢田研二がリリースした新曲は「恋のバッド・チューニング」眼には当時まだ珍しかったカラーコンタクトをはめ、蛍光管内蔵の光るスケルトンのギターをかかえ、ビニールの衣装を破りながらロックンロールするパフォーマンスが斬新で話題になった。その曲のキャンペーンで、リリース日に救急車仕立ての宣伝カー「バッドチューニング号」を走らせ、我々スタッフで東京から静岡~名古屋~京都~大阪~神戸までプロモーションして回ったことがありました。

 

当時渡辺プロのオフィスは有楽町にあったので、まず一番近い同じ有楽町のラジオ局ニッポン放送前に渡辺プロ、ポリドールのスタッフが集合。社内に入り編成、制作、事業の部署を中心にプロモーション。この頃沢田は「サウンド・フリーウエイ」か「愛の贈りもの」かどちらかのレギュラー番組を持っていました。

ここからスタートし、都内のキーステーションを廻って地方へ向かいました。バッド・チューニングを流しながら走っていると、手を振ってくれるのはもちろん、追っかけてくるファンもたくさん。休憩で止めていると車が囲まれ、「ジュリーは?」って訊かれる。残念ながら乗ってはいない。この新曲が今日リリースされたので買って欲しい、そしてTV局やラジオ局にリクエストして欲しいと協力をお願いする。ベストテンやトップテン、地元のラジオ局のヒットチャート番組のランキングの上位に入ることがヒツトの重要条件ですからね。そして各地の放送局の旧知のディレクターと直に会って、オンエアーをお願いする。最後は神戸のラジオ関西。ジュリーシンパの女性ディレクターに来てもらい車の前で記念写真。我々スタッフのプロモーショントークを録音してくれました。怪しい救急車だ!とパトカーに止められるということはなかった!(笑)

はたしてこのプロモーションがどれほどの効果があったかどうかはわからないが、この70年代、80年代当時はもうほとんど乗りで、大きな宣伝販促費をかけて、いろんな賑やかしのキャンペーン、イベントをやってました。それにしても、横断幕がなんでTOKIOに続く第2弾だったんだろう?いまだに僕の中では謎のままなんです(笑) さらに、それにしても僕の髪の毛、多いなぁ~(笑)

その沢田さん44年後の現在も元気に「甲辰 静かなる岩」全国コンサートツアー中です!