元ソニー・ミュージックエンタテインメント社長丸山茂雄さんの「私の履歴書」がいま日本経済新聞に連載中です。新聞を購読していないので知るのが遅くなってしまったのですが、元丸山さんの秘書で、さらに元我が渡辺プロダクションの伝説のデスクだった先輩の山岸女史のFBの投稿で知りました。

 

 

丸山さんといえば音楽・エンタメ業界で知らない人はいないというほど有名で、出会った約50年前から「丸さん」と呼ばれ慕われ愛され、憧れられる存在でした。一般的にはソニー・ミュージックエンタテインメント代表取取締役。「ロックの丸さん」として渡辺美里、TM NETWORK、佐野元春、シャネルズ(ラッツ&スター)、大澤誉志幸、THE MODS、BARBEE BOYSらを育てたエピック・ソニーの創始者。プレイステーションの生みの親でソニー・コンピュータエンタテインメント会長。といった音楽・エンタメ界のカリスマ実業家として知られています。

かの丸山ワクチンの丸山千里博士の長男として生まれた(1941年)が「思ったほど頭がよくない」と知り医者の道を断念、読売広告社を経て1968年CBSソニー設立と同時に入社。そして、仙台出張所、香港勤務を経て東京本社の宣伝・販促主任となった1974年に僕は丸山さんと出会いました。

 

 

 

その当時CBSソニーも渡辺プロもアイドル全盛時代で、僕は新入社員にもかかわらずいきなり天地真理、キャンディーズ、太田裕美のプロモーションを担当することになりました。三組ともCBSソニー所属。そのなかで太田裕美の宣伝・販促担当だった丸山さんとプロダクションのプロモーション担当としてヒットを目指して一緒に仕事するようになりました。

丸山さんは他に吉田拓郎や五輪真弓といったシンガーソングライターを担当していたこともあり、太田裕美の売り方にしてもアイドル性プラス弾き語りフォーク系という新しいイメージを持っていました。そのコンセプトは我が藤岡チーフマネージャーとも合致していて、吉田拓郎、かぐや姫らが所属するユイ音楽工房が経営する原宿のペニーレーンでユイのスタッフのノーハウを知るために夜遅くまで飲んでしゃべったものでした。その中心にはいつも丸山さん、ソニーのディレクター白川さん、そして藤岡さんがいました。

当時丸山さんは市ヶ谷のソニーの本社ビル(通称黒ビル)のすぐ近くに住んでいて時々夜お邪魔して飲ませてもらってました。丸山さんを慕う若手の溜まり場のようになってました。そして、四谷に丸山さんはじめソニースタッフ、フジテレビスタッフ、渡辺プロスタッフが夜な夜な自然と集まるスナックがあって、そこで音楽や番組の話をワイワイやって、よ~しその企画やろう!ってなることもありました。オールナイトフジの発端になるような企画も酔っ払いながらの雑談で出したんじゃなかったかな?いま思うとその頃最年長の丸山さんが30歳半ばで、僕は9歳下だから25~6、ほとんどが20代だったわけです。

 

 

 

丸山さんは「ゆるい性格のせいか年下からも”丸さん”と声をかけられ、彼らが自由奔放に能力を発揮する現場に立ち会ってきた」「私を中心に成し遂げたのかというと、違う。主役はほかにいる。私は彼らの近くに居合わせて、ともに取り組む仲間になった」と言う。また糸井重里さんとの対談では『あまりにもオレに欠落している部分があるから、「この人をこのままにしておいちゃマズイよな」と、おれのそばにいてくれる人とか、おれを取り巻くチームががんばって、つじつまを合わせてくれるんですよ。そうじゃなきゃ、ここまで来れないよね』とも言っています。

このように丸山さんは普通に偉い人なのに全く偉ぶらない。ジーパンにポロシャツ、スニーカーで気軽に現場に現れる。よっぽどの公式の場でない限りネクタイ姿を見たことがない。現場に偉い人が現れると部下たちはよく引いたりするものだが、丸さんの場合は集まってくる。そんな出で立ちとゆるい性格がみんなに妙な緊張感をあたえず、壁をつくらない。上司だ部下だと堅苦しい関係にとらわれないフラットな感覚の現場の長であり経営者であり続けた。ソニー・コンピュータエンタテインメントの社長でありながら小室哲也のマネージャーだったわけで、こんな社長ありえないですよ!これが丸さんです!凄いでしょう。

この連載は是非音楽・エンタメ業界以外の人にも読んでもらいたいです。ずっと目標にして来た憧れの尊敬する丸さんです。