海へと降りる下り坂 -7ページ目

海へと降りる下り坂

旅とサーフィン、音楽、空と海、小説、映画、仕事、、。
書くのはその時脳内を一番占有していること。
しばしば長文、お許しを。

きょうのお歌 白いページの中に 柴田まゆみ 1978年
1978年のヤマハポピュラーソングコンテスト(ポプコン)入賞曲です。残念ながらグランプリにはなりませんでしたが、これはポプコンから出た曲の中でも名曲の一つだと思います。このコンテストでの曲の全部を知っているわけではないですから何とも言えませんが、ふたつは無いだろうと。73年の小坂明子氏の「あなた」も素晴らしい曲でしたが(シングル持ってます)こちらはそれ以上だと思うのですが、どうでしょう。1978年当時この曲が、コッキーポップというポプコンと連動していたラジオ番組のテーマソングで流れていましたが、当時僕は勉強大好き少年(ウソだけど)。いつもこの番組を聴きながらなんとなく勉強しているフリなどしていたものです。ホント懐かしい曲で、あの頃あったいろんなことがよみがえります。戻れるものなら十代に戻りたいくらいです、まったく!

この曲一年前にものっけたけど削除されてたでもさ多少は眼つぶってそのままにしときなさいってポップスのよさに気づいてもらわんと今の若い子なんかCDも買わんしゲームばっかしだから音楽業界も廃れますよこういう所でポップスの良さを知ってもらう方法もいいんじゃないの?著作権は大事だけど融通効かさないと少子高齢化でもあるし廃れちゃうよ音楽は教条主義的なことばっかし言っててもダメだって作った人ばっかし守ってても売れなきゃどうしようもないがね。

 ということでヤマハリゾートつま恋が閉鎖だそうだ。ワシは行ったことはない。隣の県で近いので行こうという気になったこともない。

 が、この施設に泊まって遊ぶということはどうでもいいのだが、ヤマハポピュラーソングコンテスト(ポプコン)本選会場としてのつま恋リゾートがなくなる、というのは、ほんとにワシの思春期時代もどんどん宇宙空間の星々が高速で離れていくくらいの速さで遠のいて、あとは老いを待つばっかしという気になってしまうのだ。

 ヤマハポピュラーコンテストは、1986年まで行われていたポピュラー音楽コンテストだが、その本選会がかつてつま恋リゾートで開かれていた。そこから世に出た曲はほとんどが人気曲となりラジオからもよく流れていたわけで、何をするにもラジオを流しながらの中・高生だった頃の僕にとって、頭の中にしっかりと、あるいは知らず知らず記憶の底に焼き付いた曲ばかりだ。


 実は1970年代後半頃、すでに僕は洋楽の方に興味が移っていて、日本のポップスにはそれほど熱心ではなかったのだけれど、このポプコン出身の曲たちは特に覚えようとしたわけでもないのにほとんど歌えてしまう、というくらいの曲もあって、そしてこの先たぶん死ぬまで忘れることはないのだろうと思うのだ。普段は全く思い出さなくても、イントロが少し流れただけで歌えるし、その曲が流行った当時の色んな記憶もよみがえる。昨日の晩飯が何だったかも記憶にないのに、、、。

 時は流れて、自分の思春期時代のいろんなものは世の中から消えていき、あるいは風化する。それでいいとは思う。時代の流れはそういうものだ。無常でいいのだ。

 だがやはり少し寂しい気もする。ポピュラーソング、という言葉も今やすっかり使われなくなったようで、今は演歌以外全部ひっくるめてJ-POPだ。おれはロック、わしはフォーク、というある種の”スジの通った”聴き方ももはや過去のものだ。

 この先未来の若い人が何に楽しさを見つけるのか知らないけど、いつの世も素敵な”ポップス”と恋愛小説と、ラブコメディードラマあるいは映画、そして素敵な恋の存在する世の中がいいのだ、そうでなくてはいかんのだ、とポケモンGOなどやりながら、ワシはそう思っているところだ。