いつも読んでくださってありがとうございます‼️





毎年恒例?になりましたが、

本日8月22日は、

Y村をteamねこのてに繋いでくれた

陽くん♂️の命日。







初めて出会ってからたった半年ほどで、
1歳に満たない生涯を閉じた陽くん。


そんな彼の命日も、
もう3回目を数えることとなりました。



この3年間で、
想像以上の出会いと別れを経験し、
陽くんへの気持ちが少しずつ昇華されてきたように感じます。



そんな時、
ネットニュースでこんな詩と記事に出会いました。



  ちょっとちがう
      こねこななこ


 わたしは みんなと
 ちょっとちがう

 ちょっと
 しっぽが
 みじかいし

 ちょっと
 ひげが
 ながい

 でも
 ママが
 「それでいいのよ」
 っていってたの




小学4年生の女の子の詩です。
彼女は重度のアレルギーがあり、
小学校の給食でそのアレルギー物質のものを誤って口にし、
11歳で亡くなりました。



当時はマスコミによって悲劇的に取り上げられたそうですが、
その後の新聞記事にこんな風に載ってました。




(この詩に感動した方によって歌が作られYouTubeでも聞くことができるそう)



何よりも、
この記事にある彼女の母親の言葉が
Y村の心に刺さりました。

「可哀想ではなく幸せな子だったと伝えてください」


記事によると、
母親は一時生きる気力を失うも、
彼女の前向きに生きた存在が
母親を立ち直らせたのだそう。



この詩を読んだ彼女も、
1歳に満たずに亡くなった陽くんも、
きっと第三者から見ると
『可哀想』なのかもしれない。



でも、
そんなふうに可哀想とさげずむのは、
なんとなく違う気がします。


どんなに短い生涯であっても、
「それでいいのよ」と前向きに生きた彼女や、
Y村やボランティアたちにたくさんの喜びを与えてくれた陽くんの生涯は、
幸せだったと胸を張って言える。



Y村の陽くんへの想いに、
この母親の気持ちが重なりました。




だから3回目の命日である今日は(日付が変わってしまいましたが💦)、
悲しい気持ちではなく、
陽くんへの感謝の気持ちを現す日にしたい。


来年からは、
陽くんありがとうの日にしたいと思います😌




大切な存在の死というものは、
どうとらえていいか分からないですし、
千差万別。

私の考えもかなり個人的なものなので、
何言ってんだ、このやろーって思われるかもですが、
そう考えてるのがY村なんだくらいに思ってください。



陽くん、
ありがとう😺

これからも、
私やteamねこのてのみんにゃを見守っていてね。