*** VOL.273 つまらない大人にはなりたくない ***

 

昨今、「コスパ」がわがまま顔で世界を練り歩いている。

多くの人が、どれでけ得をするか、損しないか、を気にして時を過ごす時代なのだ。

 

タイパというのもある。

こちらは、タイムパフォーマンス、かけた時間に対して、得したか。損したか。

そして、二つとも、比較対象は他人。

他の人より得したらイエーイ!で、損したら、嫌なのだ。

自分だけが知っていると得で嬉しく、

自分だけ知らないことで損していないか、不安になる。

 

そうして得して手に入れたものを別に大切にするでもない。

浮いたお金で、また何か得することがないかを探す。

その探している時間(たいていはスマホで検索している時間)は、別にもったいなくない。

 

だから30秒以内のSNSがタイパのいい情報源となり、「10分で読める名作」なんて本屋に並んだりする。

しまいには、音楽ですらタイパが大事なので、曲の前奏や間奏は。飛ばして聞かない、だから前奏のない曲が増えたりする。

前奏が始まったときのわくわく感などは、損なのであろう。

そもそも音楽なんて、コンサートでもない限り、移動中や作業中のBGMで、録音した音源を聴くなんて、損する行為なのだ。

 

だから、若い時に聞いていたアルバムのCDをもう一度買い集めて、他に何もせずに聞き入る、なんていう僕の趣味は、そんな価値観の方々には、非効率でコスパもタイパも悪い、前世紀の遺物といわれるのかもしれない。

 

So what!?

若い時に繰り返し聴きこんだ音楽の前奏が始まり、歌い出すまでの、ゆっくりとした、この豊かな時間。

目をつぶって、スピーカーの向こうの風景を思い浮かべる楽しさ。

他の人がどういおうと、どう思おうと、自分の好きな音楽と過ごす自分の好きな時間を持つ幸せ。

「好き」に他人は関係もなおし、損も得もあるものか。

 

そういうわけで、今、青春時代の佐野元春を聴いている。

「つまらない大人にはなりたくない」(ガラスのジェネレーション)

この曲を何度聴き、歌ったろう。

そして、周りにいた「つまらない大人」を見上げて、こんな大人になりたくない、と強く思ったものだ。

 

つまらない大人にならずに済んだかどうかは、わからない。

つまらない大人だと思われることもあるだろう。

でも、当時、僕が嫌だった、いつも人の目ばかり気にして、悪口や愚痴ばかりいっていた大人にはならずに、

今という時間を大切して楽しみ、自分の好きなことや時間を持てているから、それでいい気がする。

「若すぎて何だかわからなったことがリアルに感じてしま」って、

Somedayの前奏を聴くたびに、泣きそうになっても恥ずかしくない。

 

いつも自分の損得ばかりを気にしている、

つまらない大人だけにはなりたくない。