VOL.257   マンガ裏街道 

 

<少年マイナー>

 

どこかの毒舌大臣じゃないけど、僕もマンガには、長い間お世話になり、また多大な影響を受けてきた。しかし、その道は決して平坦ではなく、又、余り日の目を浴びたものでもなかったのである。

 

自宅にあって、はじめて目にした「サザエさん」「いじわるばあさん」は別として、初めて読んだマンガは、おそらく「小学一年生」に連載されていた「おばけのQ太郎」だと思われる。まだ「ドラえもん」が誕生していなくて、その後「ドラえもん」を読んだときに

「けっ、おばけのQ太郎の方が面白いや」

となぜか強がりをいった記憶も残っている。

思えば、ここあたりから自分のマイナー指向が芽生えているのではなかろうか。その後、長嶋、王全盛期のV9ジャイアンツが盛り上がっているときには、大沢親分率いる日本ハムを応援していたが、何しろテレビでやっていないわ、後楽園球場に行っても席はがらがらだわ、で、強がってはいても子供心に寂しい思いをしたものだった。

 

その後、「ドカベン」に代表される水島野球漫画全盛時代も、ちばあきお先生の「キャプテン」にのめりこんでいった。むろん、クラスでも少数派である。華やかさはないながら、なかなか人前で自分の意見や気持ちをいえない谷口くんが、誰にも知られず夜中に壁を相手に一人で猛特訓を重ねては、次第に力をつけていくところは、思い出しただけで、今でも勇気をくれる。

 

また、少年誌といえば、当時、チャンピオンがダントツ人気だったが(「ドカベン」「ブラックジャック」そして「がきデカ」)、

少年マガジン(「愛と誠」「三つ目がとおる」「天才バカボン」「デビルマン」)

少年ジャンプ(「プレイボール」「ドーベルマン刑事」そして「こち亀」)、

少年サンデー(「漂流教室」「おれは直角」そして「男組」)

とそれぞれクラスで購買担当がいて、交換しているなか、僕は、「ワイルド7」のかっこよさにしびれ、地味な少年キング(後に「銀河鉄道999」、知ってるかな?「5五の龍」)を購読していたのである。上記の4誌が、毎週発売されるや、本屋さんの店頭にどーんと積まれていたのに、少年キングだけは、店内にちょろっと積まれていたのも寂しかったものである。

 

<なぜヤマトは復路、一気にワープしたのか>

 

もっとマイナーな話をすると、当時、同じマンションに住んでいたK君が

「とてつもないスケールのマンガが「冒険王」に連載されている、と教えてもらって注目していたのが「宇宙戦艦ヤマト」だった。しかし、当時は全くというほど注目もされず、クラスでも相手にされないまま、なんと連載の途中から、子供心にも明らかにストーリー展開が急ピッチ、且つ乱暴に進み、イスカンダルの雑な描写と数回のワープで地球に帰ってきたヤマトの連載は余韻もなく終了したのであった。なんということであろう。そして、その後、念願のテレビ放映を果たしたときも、周りは誰も注目しておらず、ヤマトは暗い宇宙を寂しく突き進んでいったのである。

だから、後に急にヤマトの再放送が燃え上がり、映画がヒットしても、偏屈な僕は素直に喜べなかったのである。

 

マンガでは無いけど、音楽では、マイナー路線が大いに日の目を浴びて、誇らしく思ったことが数回あった。例えば、クラスでツイストが圧倒的人気を勝ち得ていたとき、僕とY君は、

「勝手にシンドバット、いいよね」といっては、

「けっ、コミカルバンドじゃんかよ」

と嘲りを受けていたが、その後、「いとしのエリー」のヒットによって

「ほおら、見てみろ」

と胸を張ったのである。

RIDE ON TIME」前の山下達郎、「冬の稲妻」前のアリスも同様で、酔っぱらって音楽の話になると披露する、ささやかな自慢話である。

 

閑話休題。

 

こ・の・う・ら・み・は・ら・さ・で・お・く・べ・き・か ドーン!!>

 

そして、この悲しいマンガ裏街道はさらに深みにはまっていくのであった。

 

そもそも当時の高校生ぐらいになると読書か、スポーツか、色気づくか、で余りマンガは読まなくなるものだったが(まだゲームという選択はなかったからね)、僕はスポーツは苦手だったし、だいぶむっつり奥手でもあったので、読書もしたけど、親の目、人の目を忍んでマンガも読み続けていた。

手塚先生の重厚な暗いマンガシリーズなんかは、高校生の読むものかどうかわからないけど、ずいぶんと読んだものである。

「火の鳥」、「ブッダ」も読んだけど、「MW」、「人間昆虫記」「ばるぼら」など、読み終わって人生が変わってしまいそうになる作品を思春期に読むことで随分人生ねじ曲げれたような気がする。まあ、「罪と罰」だって「金閣寺」だって、名作といわれる小説もみんな結構暗いから、より読書に励んでいても同じぐらいねじ曲がっていたかもしれない。

 

藤子不二雄先生は、よく知られているように、晩年、藤子不二雄A先生と藤子・F・不二雄先生に分かれてしまったが、そもそもよく長い間一緒にやっていましたね、と呆れるほど、タッチから指向から異なっている。当然、思春期の僕の心を掴んだのは、「ドラえもん」でなくて陰のある小池さんが出てくる「オバQ」、「パーマン」ではなく「怪物くん」そして「笑ゥせぇるすまん」「魔太郎がくる!!」など暗い方であったのだ。

 

 

<後編へ続く>