<カセットテープの青春>
2001年10月に、スティーブ・ジョブスが
「ipod – 1000曲をポケットに」と発表して以来、音楽は急速に
ダウンロードするものに変わっていった。
思えばLPからCDに変わっていったときも、
「いや、CDの音は軽いんだよな」
などと抵抗していたものだが、その根拠薄き抵抗も、巨匠カラヤンのCD支持の前にむなしく消えゆき、我が家のLP(山下達郎の初期、マービン・ゲイなど)は、いつしか実家の物置の奥に眠るようになっていったのである。
いや、それよりも悲しかったのは、学生時代、一生懸命レンタルレコードを借りては、ダビングしていたカセットテープ約200巻が、いつか聞けなく運命になるだろうと予感したときのことである。
当時の手元資金では、青のAHFカセットは贅沢だったし、かといって赤のCHFは寂しかったので、緑のBHFで揃え、借りてきた陽水のレコードを流しながら、ジャケットの裏の曲名を、一生懸命に小さい字で書きこんだインデックス。
さらにさかのぼると、まだダビングなどという言葉もラジカセも無かった頃、ラジオの前にレープレコーダーを置いて息を殺して空間録音したあのカセットこそ青春そのものだったのだ。
<悲しいうわさ>
カセットのテープが、年を重ねるごとにびよ~んと伸びていき、ジョンレノンの声が年々、低く遅くなり、不思議な抑揚がつくようになっても、青春の思い出詰まったカセットは、嫁からは引っ越しをするたびに、
「いつ、捨てるの?」
と責められ、娘からは、
「これ、なあに?」
などと、無邪気に問われては傷つき、ますます捨てられなかったのである。
LPプレーヤーが急速に消えて後、社会人になってしばらくは、CDカセットコンボで両刀使いをしていても、自然とカセット部分を使う頻度は減っていき、いつしかオーディオ売り場でカセット製品が絶滅機種として扱われるようになっていった。
就職して給料をもらうようになれば、レンタルCDを借りることもなかったではないが、ポール・マッカートニーの新しいアルバムが出れば、次第にCDを買うようになり、その数も増えていった。が、カセットで持っていたウィングス時代のアルバムのCDを買いなおすことはしなかった。なぜか、というと、当時MDなどというものも発売され、LP、カセット、ベータビデオで痛い目にあっていたこともあってCD時代もいつまで続くか疑問だったからだ。
そして、娘たちが、中学校に行きだすと、給料も多少はあがったものの、それを上回る迫力で、学費の負担が増し、結果、CDを買うゆとりがなくなって、CDをレンタルしてMDにダビングすることになる。あ、そうそう、カーステレオにMDプレーヤーしかつけなかったことも、中途半端なMDライブラリーを増やす原因になったのだった。(不朽の名盤MAMBO de CHRISTMASもMDで聞いていた)
そうして、実家にある古いLP、自宅に大量の伸びた思い出のカセット(チューリップ、竹内まりや、ゴダイゴ。BOSTON、BEE GEES, BILLY JOEL)
比較的最近の曲の入ったMD(矢野顕子、佐野元春、Michael Jackson)、そしていくつかのCD(各種ベスト、ジャズ、Eric Crapton)という技術革新の波に翻弄された僕の音楽ライブラリーをあざ笑うかのように、ジョブスは、
「1000曲をポケットに」
といってのけたのだった。
<CD集めて何が悪い!>
多くのアナログ仲間には共感してもらえると思うけど、ダウンロードしても、ジャケットもライナーノーツもない。このアルバムを手に入れた、という満足感もない。アーチストが一生懸命曲順を考えたアルバムを聴くぞ、という礼儀も人情もない。
(ついでにいうと、スマホの中で、聞きたい曲をすぐ探すリテラシーもない)
と、いうわけで、
娘が社会人となって長くて重たかった学費という足かせがとれた今年、
音楽はスマホから聞くことが常識になり、近くのTSUTAYAさんも閉店してしまったまさに今年のゴールデンウィークに、吾輩は、ついにすべてのカセットテープとMDをごみ箱に投げ入れ、学生時代のときのようにBOOKOFFに行って中古CDを漁って買い直し、レンタル以来、手に取れなかったジャケットとともに、青春時代のアルバムを鑑賞・満喫しはじめたのだ。
CDが絶滅する前に。
CD集めて何が悪い!