数年前に当時の恋人と、関東の有名な温泉地に行きました。
恋人のご両親共にその県出身で、御祖父母・御親戚もそちらにいらっしゃいました。
当然道も詳しく、色々な場所に立ち寄りながら出かけることが出来てとても楽しかったです。特に途中で立ち寄ったお蕎麦屋さんがとても美味しく、二人とも驚きました。
1か月後、彼がもう一度同じ宿に行こうと言い出しました。飛び上がる程嬉しかったです。
お蕎麦がもう一度食べられるのも嬉しかったですが、私はその恋人の事を、今生でこんなに好きになる人に出会えるとは思わなかったと思った程、大切に思っていたからです。相手も同じように思ってくれていました。当時は。
その2度目の旅の帰り、道に明るい彼の運転で、渋滞を避け田畑が連なる道を通りました。
その頃二人の中で写真が趣味になっていて、お互い同じ風景で撮った写真の構図の違いや個性を見て楽しんでいました。
たまたま通ったその道で、田畑が続く中、細くて高い木に囲まれた場所がありました。まさに写真に残したくなる風景。
「なんかかっこよかったね」「ね」
珍しく私に何も聞かないで、彼が車をUターンさせました。
「神社かね」「あの木の囲みは神社っぽいよね」
戻ってみると、私たちが通っていた道から、約車1台分程の狭い道路が伸びていて、まっすぐにその場所に続いていました。
そのまま神社を囲むように、奥の田畑に道が繋がっていたので、やや広くなっている場所に車を停めてお参りしようかという話になりました。
実際降りて、砂利道から参道の前に立つと、様子がおかしいことに気付きました。
入口の辺りから、祠まで30メートル以上はあったと思いますが、土や参道の石畳の間から腿辺りの高さまでの草が、たくさん生えていたのです。
そればかりか、鳥居には見た事がないしめ縄のつけ方がされています。まるで入るのを阻止しているかのような、長く膝丈位まで下がっているものです。
ちゃんと管理してくれていればこんなに荒れないだろうし、周り見ると蔵を持ってる家ばかり。恩恵を受けて来たはずなのに、この放置はおかしいと思いました。
「もしかして新しい祠に、移動してもらったとか?」
「どっちにしろこのしめ縄、入ったらダメって事かもだし帰ろう」
車に乗り、来た道に右折した時でした。持っていた携帯ナビの画面を見たら、現在地のすぐ脇の地点に初めて見る吹き出しみたいなマークが点いています。
[ここへ行く]
「え・・・ちょっとちょっとちょっと」
顔を見合わせ、マークの右上にある×印を押しますが、何度消してもまた神社の上の[ここへ行く]マークが立ち上がります。
「やばい、移動しよう」
逃げました。やばいよね、とか消えないとか言いながら、最終的に電源を切り、だいぶ離れた所で道の駅の駐車場に入りました。
トイレから出て来た彼が首に鳥肌を立てていたので、持っていた古代塩を二人で舐め、ちょっと落ち着こうとコーヒーを飲みました。
その後は、対向車線で軽トラに人がはねられるのを見た以外は普通に帰れました。普通じゃないんだけれど。
今考えれば、神様の呼び方ではないと思います。
その後、段々相手と予定を合わせていても、どちらかに急用が入り会えなくなって行きます。結婚を約束していましたが、最終的に相手が急に仕事を止めて一時行方が分からなくなりました。聞けば色々な事があったようです。
連絡は付くようになりましたが、私達は元に戻れなくなりました。理由は、すべてが無くなった自分は人を幸せにする事が出来ないからだそうです。
彼は今、その神社がある県の御祖父母の家に居ます。
私はと言えば、数日間体調が悪く、微熱吐き気などがありフラフラしたので、神社に事情を話しお祓いして頂きました。
事情を説明した際、「普通のしめ縄でなかった」という言葉に、ピンと来たような顔をされてました。(もしかしたら勧請縄と誤解なさったのかもしれませんが)
祝詞を上げてくださった神職の方は、「併せて、不浄なモノに触れてしまった時の祝詞もあげましたので」と労わって下さりました。
神様は人間一人一人にいちいちナニカしてくださらないし、しないっていう人が居ますが、そんな事ないと思います。
荒魂であろうと和魂であろうと、色々な見方で人間を見ているし、好き嫌いもあり、神社の敷地なんて飛び越える位のお力があります。(このケースはもしかしたら留守になった神の居場所を乗っ取った者かもしれませんが)
私は「彼を取られた」と憎く思った事もあります。おいもでも持って、お参りに行ったら恋人を返してくれるのかなとか。
でもそれでは、悪魔の契約と同じになってしまう。「●●してあげるから●●して」と。
神は見返りなんて求めないのです。
※文中にあるしめ縄は、北関東の神社でいくつかこのような形のものがあると後で知りました。