比較的誰とでも仲良くできる僕ですが、言動と行動が一致しない人や、人を見下すような態度をとる人とかは、昔から苦手で。
リスペクトできないので基本は距離を置くようにしています。
ただ、職場にそんな人が居たりすると、接触は避けられないわけで。
そんな人に対して我慢の限界が到達すると、正論で黙らせてやりたくなるというか、もう関わってほしくないから正論で武装するという浅はかな行動を取ってしまいます。
今の職場にも僕が正論ぶつけちゃったせいでほとんど挨拶すらしてくれなくなった人が二人ほど居ます。関わってくれなくなったのはありがたいのですが、人から嫌われ続けるってまあまあのストレスで。言葉に出なくても態度で不快感をあらわにしてきたり、仕事上必要なやりとりもぶっきらぼうに返されたり、やはりイライラさせられます。悪いのは僕なんですけど。
僕も変にプライドは高くて、正論は正しいと思い込んでますから、正論をぶつけることを悪いことと思ってないんです。それが厄介で、なんで正しいことをしてるこちら側が関係を改善するために歩み寄らなければいけないのか、みたいな考え方をするので、自分の正論によって出来た溝はなかなか埋まることはありません。埋める必要も価値も無いと考えてしまいます。
でも、ふと思うのです。もう少しうまく立ち回ればこんなストレスも経験しないで済んだはずだよな、なんて。
職場には、問題のある同僚がいることは把握し理解もしつつ、適度な距離感を保ちながら誰とでも仲良くできるような人もいます。こんなふうに上手く人間関係を構築できたら素敵だな、なんて思いながら見てるのですが。
そんな人と話してて共通するのは、他人に期待し過ぎない、ということかなと感じます。関わる相手に優劣や敵味方みたいなレッテルを勝手に自分の中で貼ることなく、あくまでも「他人」として接する。「他人」なんですから、自分に影響がない限りはなにしてようが構わないわけで。いちいち振り回される必要もありません。
正論だって、振りかざせば暴力的な結果を生むこともあるわけで。そんな真理を知りながら土産物屋の木刀のように正論ブン回してる僕は、まだまだ未熟だなと感じます。
塩で味付けされた言葉を話しなさいとか、適切な時に話される言葉は銀の彫物の中の金のりんごのようとか、言葉の使い方に関してはガキの頃から学んできたはずなんですけどね。なかなか身につくには時間がかかりそうです。
エホバ居たら助けてくれるやろか。
アーメン。
リスペクトできないので基本は距離を置くようにしています。
ただ、職場にそんな人が居たりすると、接触は避けられないわけで。
そんな人に対して我慢の限界が到達すると、正論で黙らせてやりたくなるというか、もう関わってほしくないから正論で武装するという浅はかな行動を取ってしまいます。
今の職場にも僕が正論ぶつけちゃったせいでほとんど挨拶すらしてくれなくなった人が二人ほど居ます。関わってくれなくなったのはありがたいのですが、人から嫌われ続けるってまあまあのストレスで。言葉に出なくても態度で不快感をあらわにしてきたり、仕事上必要なやりとりもぶっきらぼうに返されたり、やはりイライラさせられます。悪いのは僕なんですけど。
僕も変にプライドは高くて、正論は正しいと思い込んでますから、正論をぶつけることを悪いことと思ってないんです。それが厄介で、なんで正しいことをしてるこちら側が関係を改善するために歩み寄らなければいけないのか、みたいな考え方をするので、自分の正論によって出来た溝はなかなか埋まることはありません。埋める必要も価値も無いと考えてしまいます。
でも、ふと思うのです。もう少しうまく立ち回ればこんなストレスも経験しないで済んだはずだよな、なんて。
職場には、問題のある同僚がいることは把握し理解もしつつ、適度な距離感を保ちながら誰とでも仲良くできるような人もいます。こんなふうに上手く人間関係を構築できたら素敵だな、なんて思いながら見てるのですが。
そんな人と話してて共通するのは、他人に期待し過ぎない、ということかなと感じます。関わる相手に優劣や敵味方みたいなレッテルを勝手に自分の中で貼ることなく、あくまでも「他人」として接する。「他人」なんですから、自分に影響がない限りはなにしてようが構わないわけで。いちいち振り回される必要もありません。
正論だって、振りかざせば暴力的な結果を生むこともあるわけで。そんな真理を知りながら土産物屋の木刀のように正論ブン回してる僕は、まだまだ未熟だなと感じます。
塩で味付けされた言葉を話しなさいとか、適切な時に話される言葉は銀の彫物の中の金のりんごのようとか、言葉の使い方に関してはガキの頃から学んできたはずなんですけどね。なかなか身につくには時間がかかりそうです。
エホバ居たら助けてくれるやろか。
アーメン。