小学生の頃、父親と弟と三人で散髪に行くことがありました。

地域最安値、小学生なら千円で切ってくれます。エンゼルって店名です。

その床屋が、当時は嫌いで。

理由は、何人か従業員がいる中で1人中年の店長らしき人物がいつもいるのですが、そのおじさんがめちゃくちゃ怖くて。


怖いと言っても、イカツイとか、怒鳴られるとか、そうゆう怖さではありません。むしろ接客は優しいんです。

なんつーか、カットしながらなんかに取り憑かれてるのか、精神疾患ゆえなのか、とにかく独り言が凄まじいのです。というか、独り言で済まされません。


家族三人で行き、その店長らしき人がカットする番になると、父親は毎回、僕に行かせます。弟は幼いし、父親はおっかないんでしょう。僕もおっかないですが、渋々席に座ります。

丁寧に誘導され、最初のうちは穏やかにハサミを入れてくれるのですが、だんだんと、カットしながら呼吸が荒くなっていきます。

だんだんと、「うーっ、うーっ」。みたいなうめき声に変わっていきます。それでもハサミを持つ手は止めません。プロです。

だんだんとそのうめき声が大きくなると、突然、ハサミを置いて、僕が座る椅子の後ろでシャドーボクシングを始めます。鏡越しに僕からも見えているのですが、何かを罵倒しながらフォームもぐちゃぐちゃなシャドーボクシングを一心不乱にやってます。

その時点で僕の目は点に。目の前、いや、鏡越しの非日常にどうリアクションしていいのかわからないのでとにかく姿勢を正します。まだ、カット終わってませんし。

鏡越しに父親の姿を確認できたのですが、大爆笑してました。なかなかやべー親です。


シャドーボクシングが一段落したら、息を切らしながらまたハサミを持ち、カットを始めます。今度は、はっきりと誰かに向けて話しています。明らかに穏やかじゃないし、見えない相手に対して罵倒や殺意を繰り返しています。この殺意の対象は僕では無いのだと言い聞かせながら、背筋を伸ばして座り、その独り言おじさんに身を委ねないといけません。
余計な動きをしたらおじさんの逆鱗に触れるかもしれない、とか考えたらとにかく石になるしか無いのです。


おじさんが突然、ハサミを持ちながら「首を持ち上げながら胸を刺すんだ」とか言い出した時は、頼むからここで殺さないでくださいと心の中で何度もエホバを呼び求めました。ここで殺されて本当にエンゼルに連れてかれるのは勘弁してほしいです。

おじさんは、独り言とシャドーボクシングを繰り返しながら、丁寧にカットしてくれます。
時々、敬語で僕に「もみあげどうしますか」とか聞いてくるので、それには返事しないといけません。一瞬たりとも気を抜けません。

もうカットも終盤に差し掛かった頃、おじさんはハサミを置き、両側に椅子が並ぶ床屋の真ん中で、軽く助走を始めます。鏡越しにどうしたのか見てますと、華麗に何かに向かってライダーキック。
ちょうど僕の鏡の画角にしっかり空中でキックしてる姿勢が収まり、人生で初めて鏡越しの大技を拝むことができました。


そんなこんなでカットは終了。生きた心地はしませんでしたが、頭はさっぱりしました。

父親は帰る道中も爆笑。こんなに笑ってくれるなら、まあいいか、って考えちゃう小学生の僕も、かなりイカれてます。


こんなことがあったんで、ガキの頃は極力床屋に行かなくていいように坊主にしたかったんですけどね。


飲みの席とかで話すと大抵ウケるネタなんですが、文章で書くとやはり難しい。