引きこもり中年です。

励まさなくてすいません。

真面目に生きてこなかった男の末路として、反面教材にしてもらえるよう、文章として敢えて残そうかと思います。イジりにくいしくじり先生です。羊みたいになるな!!って忠告だけはしたいです。


僕は正式に鬱と診断はされたことはありませんが、心療内科にはしばらく通っていました。診断は出てないのに抗うつ剤はいくつか服用しましたし、副作用も経験し、ある程度は治療の辛さも経験しました。
もうあんな生活はしたくないと思いつつも、「鬱」のお墨付きをいただけたら少しはラクに生活できるのかな、なんて邪心も芽生えていました。人生をいかにナメてるか、ご理解頂けるかと思います。


まだ現役だった時に、橋を一つ越えた隣の会衆の訪問講演に付いていったことがあります。
川を越えるだけで少し都心に近づき、地元よりも都会の会衆です。

王国会館に入り、空気がまず異様なのを感じ取ります。なんというか、精神病棟のような、普通ではない雰囲気。よくよく皆さんを観察すると、かなりの人数の方が、精神的に病んでいるように見受けられました。

もちろん、詳しくそんなことを聞くわけにもいかないので、あくまで自分の主観なのですが、連れてきてくれた長老も、その違和感は気がついていたようでした。

「喜びの民」「神のもとで永遠に幸福」
そんなことを常日頃自覚させられるような教育を毎日受けているのに、なぜ、こんなことになってしまうのだろう。洗脳真っ盛りの中年羊青年は、理解に苦しむのでした。


しばらく経ち、自分もそのような立場になった時に、なんとなく理由がわかるような気がしました。
自分は罪人で不完全。何かしら罪を犯したらその罪悪感が常に自分を苦しめる。人から見てふさわしいと思われなければならない。エホバとの関係よりも、周りの人の目を気にしなければならない。

こんなプレッシャーを日々感じていたら、精神を病むのも当然でしょう。

JW民として軌道に乗っていれば問題ありませんが、何かをきっかけに思うように活動ができなくなってしまった場合、意外と周りは手を差し伸べてくれません。「霊性の低下」と判断され、相手にされなくなるのです。

そんな時は、「油を塗る」つまり霊的な手当をするために長老が遣わされますが、所詮素人。「油を塗る」行為だけで自己満足してしまい、本当の羊の福祉なんてものは見えてもいない。傷はますます悪化します。 

かつてイエスは、「病人に必要なのは医者です。」と言いました。長老が適当にお医者さんごっこしてる場合ではないはずなんです。

冒頭に書いた会衆の病んでるように見えた人たちも、どうか適切な判断で、改善に向かってほしいなと思います。「痛めつけられ、放り出された羊」のままでは、あまりにも可哀想です。


タイトルは、マキシマムザホルモンの、「鬱くしき人々のうた」の歌詞から引用しました。

一生懸命が無理なら、その半分、0.5で良いから、毎日生きよう。優しい言葉です。

僕はまだ、0.5にも足りてないですけど。

自分は鬱ではないので、あれこれ言える立場ではないのですが。

今夜はちゃんとお風呂入れるかな。