職場に行くときに携帯で音楽を聞くのですが、聞きながらいまだに感極まりそうになる曲があります。
矢野顕子さんの曲で、green fieldsというタイトルです。Apple Musicでも普通に聞けます。

以下、歌詞抜粋。

【あなたの名前呼ばれるまでに
たくさんのこといっぱいのことあつめて
悲しみの中から光る石を見つけたら
磨いてそっと飲み込む

見知らぬ人と話し始める
聞いたことのない新しい話
私の耳は光り輝き
健やかな涙を聞き分ける】


この歌詞は、いわば真理を知った時のリアクションを書いてるんだろうなと、昔から思ってました。真理を聞いた時の感動とか、真理を伝える素晴らしさとか、なんかめちゃくちゃ綺麗な表現されてるんですよね。
冒頭の「あなた」は、キリストを指しており、ハルマゲドンの際に王として再び呼ばれることを意味してるのかな。


歌詞抜粋

【よく晴れた冬の朝、おじいちゃんがいて
セーターの色に飛び込むと「よくきたね」

ぶどう畑の向こう今ではわたしの新しい家
今度こそわたしから「よくきたね」

わたしの腕は黄金となり
わたしたちの愛を押し広める】


復活により、おじいちゃんに再会できたんでしょう。新体制になってからも、真理をまず家族から伝えていこうという確信が感じられます。


もう、楽園も復活もハルマゲドンも信じていないのに、以前はこれぐらい純粋に真理だと確信し、この曲の世界観に同調してたんだなと思うと、あれはあれで、良かったのかな、なんて思ってしまうのです。

もちろん、脱塔に後悔はしてませんし、また野外宣教頑張ろうとも思いませんが、あの頃キラキラしてた自分を、この曲を聞くことでふと思い出してしまうのです。

この感情に、自分でもいまだに戸惑います。
嘘だとわかっていてもあの中で頑張ってたら、今の僕よりも、純粋に人生の意義や目的を持って生きていけてたのかな、とか。
純粋に人のために生きることができていたあの頃を懐かしんでしまうんですよね。

一緒に暑い日も寒い日も励まし合いながら頑張った奉仕活動。誰も聞いてはくれませんでしたが、その時間はいまだに僕にとっては財産なのかもしれません。
さらに言えば、過去をここまでひきずる自分には、これから先の人生に全力で向かうだけの体重をしっかりかけられないのかもしれません。

環境適応苦手だったり、久々に集会行ったら居心地良かったり。
自分から排斥を望んだくせに、なんの覚悟も無い。

この曲を聞くと、そんないろんなことを考えてしまいます。

さて、人生にどうやって折り合いつけましょうか。死ぬまでに答えが見つかるのかな。