これ、裁判の用語なんでしたっけ?
エホバが唯一真の神であることを証する民。
宇宙主権の論争における、経験した事柄に基づく事実のみを述べる人。そんな意味合いがあったはずです。

この、いわば、「設定」。嫌いじゃなかったんですよね。神の主権の正当性が問われている局面で、傍観者ではなく、「証人」として神の側を弁護、擁護、援護できるってゆう。

だからこそ、証人らしく、堂々と、雄弁に真実を語る。それがこの団体の矜持とも言えるはず。
僕のJW人生に嘘が無かったわけじゃないけど、胸を張って「神はエホバ一人です」と言える自信みたいなものは常に持てていたような気がします。
少々の理不尽や違和感を感じても、エホバがいずれ、正されます、みたいな信仰もあったし。


ただ、昨今のJWを俯瞰で見る限り、明らかに「証人」に求められる信用性、振る舞い、矜持、みたいなものが明らかに欠落しているように思うんです。

裁判所で平気で嘘をつく長老たち。おそらく支部や統治体の指示で言わされているんでしょう。
マスコミに対する説明も、信者からすればあり得ないような内容だったりします。
教理が二転三転するのもそう。これはまあ、ずっと昔からあるそうですが。

さすがにここまでいろんなことがあると、堂々と「証人」なんて名乗ること自体、おこがましいとか、恥ずかしいとか、そんな感情って生じてこないかな、なんて思うんですよね。

まあ、当の中にいらっしゃる信者様達は、全ての事実を知っているわけでは無いので、法的にも責任が問われることも無いのかもしれません。

だからといって、知りませんでした、で済まされるようなことでも、そろそろなくなってきてるような気もします。

もう一度、「証人」とはなんなのか。考える機会を現役の人にはちゃんと設けてほしいな、なんて思います。

自分の命を捧げてきた組織です。本当に神が導く真の宗教なのか。自分はこの団体のためにどこを証人として擁護できるのか。
今一度、冷静に考えてみてほしい。

組織はたぶん、いろんな変化で浮足立ってるんじゃないかと思いますが、そんな時こそ、地に足を付けて、自分たちの存在意義をもう一度見つめ直す。そんな人が一人でもいてくれたらな、なんて、声も届かぬ外野から願う無責任な傍観者が僕です。