日本民家園めぐり、4回目は変則的に関東&東北エリアをつなぎます。

(画像:日本民家園HPより)

 

 

■作田家住宅 (国指定重要文化財)

千葉県山武郡九十九里町、イワシの地引網漁で栄えた網元の家というこちら。

イワシは干鰯(ほしか/イワシを干して乾燥させた後に固めて作った肥料)の原料として江戸中期から需要が高まり、軽くて即効性のある干鰯は綿花の栽培と特に相性が良く、「東国物」として上方や四国まで送られたそうです。

この家では2艘の船で70名ほどの漁師を使っていたそうで、地引網を引くときは近所の農民も含めて200人ほど集めたという大規模な網元でした。

千葉県では珍しい分棟型(複数の屋根があるタイプ)の民家で、分棟の間には大きな丸太を2つに割って作った雨樋があります。

広い板の間は毎年大晦日に漁師たちが集まった部屋。 主人を中央に輪になって座り、給料を清算すると大声で「おめでとう」と挨拶を交わし、酒盛りをしたそうです🍻

この日は結構日差しの強い日でもあったのでちょっと休憩。

某番組で有名になったらしいアイスキャンディを頂きながらクールダウンしました。

  

 

途中、ちょっと異質な建物が。

■沖永良部の高倉 (川崎市重要歴史記念物)

九州から南へ552㎞、沖縄本島から北へ60㎞の位置にある奄美諸島の沖永良部島。

その高倉はネズミ等の侵入を防ぐため、柱の頭部を鉄板で巻いた上に茅葺屋根が乗っています。

倉庫は屋根裏部分で梯子はいつもは外してあり、倉の下は子どもの遊び場や休憩所や作業場になっています。

 

 

■広瀬家住宅 (神奈川県指定重要文化財)

山梨県甲州市塩山付近にあった、切妻造の草葺屋根の民家。 風の強い山の斜面にあったためか、軒が低くなっているのが特徴です。

屋根の頂点は土で固め、イワヒバという植物を植えているそうです。

他の地域と比べても窓や開口部が少なくて閉鎖的。このあたりも、強い風が吹く塩山特有の気候が影響するのでしょうか。

そういえば大菩薩山系って風、強いよなぁ…🍃

居間には床板を張らず、地面の上に茅束とむしろを敷いて暮らしていたようです。 このほうが、寒い地域ではむしろ暖かかったのかもしれません。

  

 

■太田家住宅 (国指定重要文化財)

茨城県笠間市にあった名主(農家)の家。家の中に雨樋がある分棟型民家です。

大戸の上に掛けてあるのは、1868(慶応4)年4月7日に明治政府が出した「五榜の掲示」という高札。

その前日に有名な『五箇条の御誓文』が公卿・諸侯に対して出されますが、こちらは民主向けのもの。

 

「人間として(君臣・父子・夫婦などの儒教的道徳である)五倫の道を正しく すること。妻や夫のいない者や親のない子や一人で住む老人、身体が不自由な者 を心にかけること。殺人や放火、盗みなどの悪いことはしないこと」などが書いてあります。

土間部分は広いですが、これは後から建て替えられたもの。

分棟型のため、家の中に雨樋があります。詰まったら水があふれるので掃除が大変そう。

茨城県のこの種の民家では最も古い建物らしいですが、1990(平成2)年に近くで打ち上げられた花火が屋根に落下し、母屋の一部が焼けてしまったらしいです。

  

 

ここからは東北エリア

■菅原家住宅 (神奈川県指定重要文化財)

山形県鶴岡市郊外で、代々肝煎(世話役、庄屋のようなもの)を務めた菅原家。

古来より霊山としての信仰を集めた出羽三山の湯殿山・月山近郊であり、有数の豪雪地帯であるため2階部分の屋根には高ハッポウと呼ばれる高窓が付き、積雪時の出入口としても利用したようです。

雪に濡れたものを脱げるよう、入り口にアマヤを設けてあります。

アマヤの奥に厩や物置があります。

大きな囲炉裏の上にはアマダナが設けられ、衣類の乾燥や、食物をいぶして保存するためなどに用いられたそうです。

  

  

■工藤家住宅 (国指定重要文化財)

岩手県紫波郡にあったこちらは、盛岡を中心とする旧南部藩領という比較的限られた地域内に分布する、「南部の曲屋」という特殊な形態の建物。 L字型の平面を持ち、突出した土間の先端に厩があります。

春の短い東北地方北部では、農耕のためには牛よりは動きの俊敏な馬を使う方が一般的だったようです。

土間境にある囲炉裏は、土足のまま踏み込んで暖まれるようになっています。この辺りも独特の生活の知恵でしょうか。

内部は板壁で各部屋仕切られているものの天井はどの部屋にも張られておらず、家全体がひとつながりの空間のようになっていて意外と開放的です。

 

⇒川崎市立日本民家園のHPはこちらから