引き続き旧朝香宮です。
 
凝りに凝りまくった『アール・デコの美術品』、旧朝香宮邸。 
1933(昭和8)年5月に完成した、朝香宮ご夫妻の美意識の結晶ですが、お二人がここで過ごした時間はそう長くはありませんでした。
 
玄関の女神像と、細かな天然石を集めて組み合わせた床面のモザイク✨

 完成したその年の11 月、允子妃殿下は腎臓病で急逝されます(42歳)。

 邸には朝香宮と4人の子供たち、紀久子女王(のち鍋島紀久子)・孚彦王・正彦王(のち音羽正彦)・湛子女王(のち大給湛子)が残されますが、正彦王は第二次世界大戦中の1944(昭和19)年にマーシャル諸島のクエゼリン島で戦死。さらに終戦後、GHQの命令により朝香宮家は皇籍離脱を命じられます。

残った邸は有料で外務省に貸し出されました。
 ステンドグラス制作でも有名なフランス人、マックス・アングラン作のエッチングガラスを嵌め込んである大客室の扉です。
 大食堂の壁面にある植物模様のレリーフ。
フランス滞在期に允子妃殿下の水彩画教授を勤めた彫刻家 レオン・ブランショの作品です。
その後、1947〜50年の間は外務大臣兼総理大臣の吉田茂が公邸として使用。吉田はこの家をいたく気に入ったようで、『ブラタモリ』でもその写真が紹介されていました。
(画像:halohalo-onlineブログより転載)

邸は1950(昭和25)年に西武鉄道に払い下げられ(当時の価格で700万円)、1955(昭和30)年に『白金プリンス迎賓館』として開業。以降、マンション建設計画などの紆余曲折を経ますが、1981年に東京都へ139億円で売却されます。
何か西武鉄道が大儲けのようですが(笑)
 
第2階段のホール
2階ベランダから見た妃殿下居間方面
妃殿下居間
北の間のトップライト
 階段にあるはめ込みのブロンズ装飾
 
 
1983(昭和58)年には東京都庭園美術館としてオープン。2014(平成26)年には隣に新館が完成し、隣接する国立科学博物館自然教育園と併せて都民の憩いの場となっています。
 2014(平成26)年完成の新館です。
 日本庭園内にあった梅の花。
2月初旬ですが、まだ咲き始めのようでした。
余談ですが、朝香宮はこちらのお邸を出られた後、熱海に移り住みます。 晩年はゴルフ三昧だったらしく『ゴルフの宮様』の異名が残っています⛳️
 1930(昭和5)年、名誉会長を務めていた東京ゴルフ倶楽部(当時は駒沢公園内)の埼玉県膝折村への移転の際、住民が朝香宮さまの名前にちなんで朝霞町(現在の朝霞市)が誕生した逸話が残っています。
 ゴルフ場の設計は深いアゴの通称「アリソンバンカー」で世界的に有名なイギリス人 C.H.アリソン、横浜山手「エリスマン邸」等を手がけたチェコ人 A.レーモンド設計の白亜のクラブハウスが建てられそうです(現在は埼玉県狭山市に再移転)🏌️‍♂️
(画像:asakacity.wordpress.comより)
殿下は世界基準のものがお好きだったようです。