新吉原を訪れたこの日は、偶然にも近所で花魁道中を見れる『江戸吉原おいらん道中』の開催日でした。

吉原神社で掲示板を見つけ、あと30分ほどで始まるところだったので、会場の一葉桜小松通り(台東区浅草)へと移動しました。

時間もなかったので、千束小学校付近まで移動したところで、人だかりの薄い場所を見つけてそこに陣取ることに変更。始まりを待ちました。

 

程なく先導のちんどん屋や大道芸などが現れ、行列はスタート。

上の写真は江戸の頃、大みそかに吉原で行われた「狐舞(きつねまい)」の格好をした行列。

花街らしく、商売繁盛のキツネをうやまう風習があるのでしょうか。 しかしよく見ると河童もいるような・・・。

お囃子の笛はなかなか上手いです。

 その後ろは男衆。金属の棒を鳴らしながら歩きます。 「金棒引き・露払い」といわれる面々らしいです。

次いで男装した「手古舞(てこまい)」と呼ばれる人達。

これは山車を先導する、男装した芸者が江戸時代に存在したらしく、彼ら?も金属の棒を鳴らしています。

 

 

花魁名前が入った「提灯持ち」が現れると、沿道の人だかりもいよいよ熱を帯びてきます。

「藤浪」姐さんの行列。 提灯は富裕層の持ち物ということで、花魁の位を表しているのでしょうか。

「提灯持ち」のあとには「禿(かむろ)」とよばれる花魁見習の少女たちが、タバコとキセルを持って続きます。

花魁のそばで身の回りの世話をする未来の候補生、といったところです。

 

 

 
 

 

 

 

 

そして名前の入った傘を差された花魁が登場。

花魁道中を行えたのは花魁の中でも最上級の大夫(たゆう)と、その下の格子までとの事。

厳格なヒエラルキーがあったようです。

見ているとかなり歩きにくそうな履物、しかも衣装は全部で30キロほどあるらしいので大変そうです。

派手な前帯は馴染み客を迎えに行く花嫁衣裳みたいなもので、実際旧暦の8月1日には吉原じゅうの遊女が白無垢を着る風習があったといいます。 指名された花魁が妓楼から客のいる揚屋(待合場)へ迎えに行き、連れて戻るまでを旅に見立てて「道中」というらしい。

 

しかし、はじめて独特の「外八文字」といわれる歩き方を見ましたが、かなり難しそうです。

足首ねん挫しそうで見てるのもちょっとコワイです(^^;

 

 

行列の終わりは「振袖新造」とよばれる、花魁の候補生。 先ほどの「禿(かむろ)」の成長した姿です。

まだ水揚げの済んでいない見習いの身分ですが、一本立ちしてお披露目が終わると正式?な遊女となります。

 

同様に次の花魁が続きます。 こちらは「象潟(さきかた)」姐さんの列。

提灯持ちから振袖新造までが続いています。

この道中は、昼間は浅草警察署付近まで練り歩き、夕方には千束小学校まで戻ってくるコース。

途中、ステージがあり催し物も行われているようですが、行列を見れただけでも満足だったのでこの日はこれで失礼しました。

 

八重桜の咲くころに、偶然にも歴史ある道中を見物できて有意義な1日でした(^^)