深川と呼ばれる地域は、徳川家康が江戸に入ったころは深川浦と呼ばれる砂州でした。

1627(寛永4)年に菅原道真公の末裔といわれる人が、永代島に創祀したのが富岡八幡宮。その門前町として開かれたのが門前仲町の始まりです。

 

 

西の米問屋(佐賀)、東の材木商(富岡)に挟まれたここはお金の集まる場所。 当然、儲けた金を使う「ハレの場」として早くから栄えました。

門前仲町と江東区牡丹のあいだ、大横川に架かる石島橋。 

この左手一帯がかつての花街。意気と切符の良さを売りとした辰巳芸者がお座敷を務める料亭があった地域です。

この辺りには商人同士の会合や接待の場として料亭などが増え、江戸の後期には岡場所としても栄えました。

料亭はその後、柳橋や新橋へと移っていったため今はその面影は残ってないですが、大横川のほとりの「割烹 金柳」などに僅かながらその面影を残しています。

かつて砂州であった深川は場所柄、貝類がよく取れる場所でした。 

「深川めし」は漁師たちのまかない飯が始まりの庶民の味。 ネギとバカ貝(青柳)を味噌でさっと煮たてて、汁ごとご飯にぶっかけたのが「深川めし」本来のスタイルらしいです。

 明治に入ってバカ貝はアサリに変わり、今は「ぶっかけ」以外にもお店により「炊き込み」などのアレンジなど、いろんな味が楽しめます。

こちらは先日訪れた『門前茶屋』さん。

名物の「深川あさり蒸籠めし」を頂きました。

醤油仕立ての炊き込みご飯風です。

 この界隈の一番人気は、やはり富岡八幡宮そばの「深川宿 富岡八幡店」。 次回訪れた際はそちらを頂いて、味の違いを確かめてみたいと思います。



余談ですが、かつての花街の永代通り沿いに「魚三酒場」という”せんべろ”の名店があります。

ここに八幡様と同じくらい有名な女将さんがいらっしゃいます。 辰巳芸者、とは言わないまでも深川人の豪快さを感じるにはうってつけのゴッドマザーです。飲みすぎた客は遠慮なく怒られます。


常連さんが多くてイチゲンには緊張する飲み屋である事この上ないですが、一度体験することをお勧めします。