8月の夏休みを日本で過ごし、

 

青森県の岩木山神社と三内丸山遺跡を訪れました。

 

そこで自身が感じたことを記そうと思います。

 

 

私にとっての青森は、

 

とても神秘的で素敵な夏の思い出となりました。

 

 

<このたびの日本の台風によるご被害に

心よりお見舞い申し上げます。>

 

 

 

 

 

青森へ行こう

青森県へ行こう。八月半ば、日本に帰国していた

 

私は、そう思い立ちすぐに旅の計画を始めました。

 

 

新幹線とホテルを予約し、訪れたい場所を

 

ピックアップしました。

 

目的地は岩木山神社と三内丸山遺跡。

 

 

 
 
 

 

青森駅に到着後、私は一人あちらの商店街、

 

こちらのコンビニ、スーパーでと、

 

たくさんの方々とおしゃべりを楽しみました。

 

 

青森の温泉の質の良さ、

 

今年のねぶたの山車について、

 

外国人見学観光客が少なかったこと、

 

青森のおすすめおつまみ、

 

青森近海の漁獲量の減少、

 

青森で自給自足の生活を目指していることなど

 

現地の方との話題は盛りだくさんでした。

 

 

 
 

 

 

だけど、何より素晴らしかったのは、

 

どこでだれと話しても

 

みんながみんな青森を大切に想い愛していること、

 

青森の良さを私にたくさん

 

伝えようとして下さることでした。

 

 

 

 
 
 
 

 

岩木山神社

青森駅からバスで40分弘前の岩木山神社へ向かいまし


た。ここは、津軽富士と呼ばれる美しい岩木山のふもとに

 

ある神社で、およそ1,200年の歴史があり、津軽の人々の

 

厚い信仰を受けた山岳信仰のパワースポット

 

ともいわれています。

 

 

 

岩木山を神社入口の鳥居正面から望んだ時、

 

それはそれは圧巻でした。日頃、都心で暮らす私にとって、

 

目の前に真っすぐに伸びる参道、その先に続く本殿、

 

そして奥にそびえる山々。

 

 
 

 

自分という存在がとても小さく思え、目の前に広がる

 

まるで大宇宙のような本殿に対し、

 

とても厳かで神聖な気持ちになりました。

 

 
 
 

 

 

 

石畳と五柱の神

参道の両側を高い杉の木々が囲み、

 

石畳を一歩ずつゆっくりと前に進みます。

 

 

 

自分の足元を見て、

 

この石たちはどこから来たのだろう?

 

さっそく心の中で会話が始まりました。

 

 

 
 
 

右手に見えて来た大きな5本杉。

 

 「岩木山神社五本杉」、5本の根から5本の幹が

 

分かれて伸びる御神木の五本杉で、

 

弘前市の天然記念物になっています。 

 

 
 
 

 

ここで涙がとぼとぼ流れ始めました。

 

ただ涙が流れ出し、止まりませんでした。

 

純粋な存在たちからの祝福だと感じました。

 

私の胸の中にある愛と、

 

神々の想いが共振したのだと思います。

 

周囲には誰もいませんでした。

 

 

 

言葉にならない

 

 

岩木山神社には、顕國魂神(うつしくにたまのかみ)、

 

多都比姫神(たつひひめのかみ)、宇賀能賣神(うがのめのか

 

み)、大山祇神(おやまづみのかみ)、坂上刈田麿命(さかのう

 

えのかりたまろのみこと)の五柱の神々が

 

お祀りされています。

 

 

 

この五本杉の一本一本の幹には、これらの五柱の神、

 

それぞれの神霊が宿られているのだと言われています。

 

 

 

私はこの五本杉の前で手を合わせ、心を静めました。

 

すっと胸の中に言葉にしたい気持ちが湧いてきました。

 

 

だけど、私の中でどうしても言葉にならず

 

声に出て来なかったです。

 

 

 
 

 

ただ内に留まってしまう意識のエネルギーと

 

私という存在(体)とのせめぎ合い(笑)。

 

 

 

精一杯に<今ここ>を表現したいのに、

 

だけどどうしても言葉を発せられず

 

想いは、私の外へ出て行けないのでした。

 

 

そんなとても不思議な感覚を得ました。

 

でも、私自身が心底嬉しくて

 

涙を流し、悦んでいることは

 

とても良く分かりました。

 

 

 

 

 
 
 

 

水にもコケにもなれる場所

 

本殿に近づくと、右手奥から流れ出る

 

水のせせらぎに魅せられました。

 

 

 
 

 

 

岩木山からの湧水がそのまま境内に流れていて、

 

耳をすますし、自然の湧水に手を触れて目を閉じます。

 

 

私が溶けて、水になり

 

私が溶けて、水草になり

 

私が溶けて、コケにもなる。

 

 

 

 
 
 
 

わ・た・しと言う体=物体はもはや

 

すでに意味を隠して潜めていて、

 

私の内側の本性が大きく飛び出して来た瞬間でした。

 

あ、これだ。この感覚。

 

 

 

私は自分自身が自然の一部であり、

 

エネルギーであり、愛であり、美くしさであり、

 

清らかさであり、ただここにあるのでした。

 

私が消えて、私が無い、空である。

 

 

 

ほとんどの人が、ご自身がこういった稀有な存在で

 

あることを日々の忙しさにかまけて

 

忘れてしまっているんだと思います。

 

 

 

 

私は先の5柱の神の前で、

 

私の胸の奥から愛のような何かを

 

言葉に表現したいのに

 

出来なかった。

 

 

 

あの時の感覚が

 

それがまさにこれだったんだと

 

思いました。

 

 

 
 
 
 

敢えて言葉にしなくていい。

 

木や水の気持ちが分かるから。

 

互いに共振共鳴できたから、

 

もう言葉にしなくていいよ、と。

 

 
 
私たちは、言葉にせずとも
 
その存在の出す波動によって
 
互いに共振共鳴しているんだと思います。
 
    
 
 
 
 

 

本殿で想う

本殿は重厚で「奥の日光」という異名を取るほど秀麗です。

 

色とりどりの絵様彫刻が見事でした。

 

 

 
 
そしてここで受け取ったメッセージ

 

これからのあなたは、触れるもの、

 

目に見えるものだけで

 

判断したり感覚を得ようとしないで下さい。

 

今日からは常にハート、魂であなたが

 

何を感じたかで生きて下さい。

 
 
 
青森県有数のパワースポット。岩木山神社の御利益や参拝に役立つ情報まとめ。 | FOREST PEOPLE

 

 

 

私たちは、本来誰もが、

 

ただ「ここにある」という美しい存在だと思います。

 

それ以上でも、それ以下でもない、

 

社会の価値基準や評価を超えた

 

愛であり、宇宙の一部そのものなのです。

 

 

 
 

 

 

魂を磨く 誰にでもできる   神さまとお話し

 
私は主婦であり、育児をする母でもあります。

 

だけど、自身の内側に意識を寄せ、日々整えていたら、

 

自ずと高次の神さまとお話しができるようになりました。

 

 

 

私にとって個人的な解釈をすると

 

魂という言い方ですが、

 

これは今生の私という存在だけでなく

 

過去世も含めた何度も生まれ変わっては

 

輪廻転生を繰り返して来た魂の総称を指しています。

 

 

 

様々な体験を積んでは、またこの地球で

 

新たな課題に取り組んでを繰り返して来た者です。
 

 

 
 

 

そして神さまと一言で言っても色々だと思います。

 

個人的な経験では、真理が徐々に理解出来るように

 

なって来ると、良いも悪いも含めた

 

様々な見えないエネルギーの

 

干渉に遭うようになりました。

 

当時まだしっかりとした自分軸が立っておらず、

 

精神も弱々しかったからです。

 

時に夜も眠れず体調不良で大変な時期もありました。

 

 

 

今日までの道のりには、まるで泥水を飲むような

 

大変なことも多かったです。

 

 

 
 
 
でも、これらの体験を通じて多くの気づきを得、

 

当時は逃げたいと思うような周囲の人間関係に

 

学びがあり、日頃から指導しているヨガからも

 

たくさんの智慧を授かりました。

 

 

 

今では当時その苦しんだ人間関係全ての方たちへ

 

心からの感謝ができるようになりました。

 

 

 

それは私の場合、真理に気付くために、魂を磨く為に、

 

周囲の方がわざわざ嫌な役目を担って教えに来て

 

くれたと思えたからです。

 

 

 

特に過去にぶち当たった大きな壁の数々は、

 

私が今生超えたい自分で決めて来た課題であったことも

 

後になって、分かるようになりました。

 

 

 

 

自作自演の演者

 

そう、私は自分で体験したいこと、

 

乗り越えたい課題をほぼ自分で

 

決めて来ているのだと思います。

 

まさに自作自演の演者です。

 

 

もちろん例外もあるでしょう。

 

時に、他人の一時的なイライラや

 

ストレス解消の絶好のターゲットになっていた

 

事もあったかもしれませんが、

 

往々にして、ほぼ

 

今生、自身が選んだ人生の課題だと気づきました。

 

 

 
 
 

 

ここが分かるようになると、他の方の

 

人生の邪魔をしないようになります。

 

 

みなが唯一無二の存在として

 

美しく完成しているので、

 

思い付いたようなノリで軽々しい

 

アドバイスをしなくなりました。

 

 

一見すると無関心で愛のない奴だと

 

嫌われそうですが、いや全くその逆で、

 

魂磨きの真っただ中の同志に対するリスペクト

 

であり、静かに見守る愛の応援団です。

 

 

 
 
 

 

完全性を見通す

 

だから魂を磨くことは、

 

相手に真理を分からせようとか教えてあげなくちゃ、

 

とかそういう一方的なものではなく、

 

むしろ

 

みなそれぞれが、異なる課題に向き合い、

 

異なる人生ステージと異なる魂年齢で

 

人生を切り開いている同志として

 

相手を認める、見守る、完全性を見通す

 

これが大事だと感じます。

 

 

楼門前の狛犬

 

 

太陽を仰ぎ 太陽に感謝する

 

 

またここ2年ほど精神性を磨くための勉強会、

 

ワークショップに参加した手応えもあって、

 

徐々に自身が大きく開かれて来ました。

 

 

 

でも、私のような一般の人が高次の神々とお話しする、

 

コミュニケーションを取ることは、

 

まるで子供たちが無邪気に糸電話で遊ぶように

 

もはやこの風の時代には、誰にでもできる

 

普通のことになって来たのだと思います。

 

 

 

このブログを読んで下さっている方の中にも、

 

同じようなご経験、お気持ちでいらっしゃる方

 

が多いと思います。

 

 

 

太陽を仰ぎ、感謝し、笑顔する私たち。

 

これが私たち日本人の本質であり、今後の日本の未来も、

 

その先にあるのは、やっぱり笑顔で輝く太陽と私たち、

 

自分自神なのだと思います。

 

 

宗教とか偶像崇拝とか、そういうものから離れた

 

心の素直な自分自身に対する信頼であり信仰です。

 

 

 

きっとその側で、月も星も、そして豊穣を運んでくれる

 

雨も偉大な存在として私たちを見守っていると思います。

 

糸電話水彩イラスト/無料イラストなら「イラストAC」

 

 

 

 

 

 

山内丸山遺跡

 

最後に訪れたのは、山内丸山遺跡です。

 

私はボランティアの方による解説ツアーに参加し、

 

縄文時代の暮らしに心惹かれて行きました。

 

 

 

この遺跡は、今からおよそ5,900年~4,300年前までの

 

間、1,700年にも渡って続いた縄文時代の集落です。

 

最盛期の竪穴住居数は約100棟、人口およそ500人

 

ほどで大規模だったと言われています。

 

 

 

三内丸山遺跡に、高くそびえ立つ大型堀立柱建物が

 

あります。下の写真のように建物として実際に復元

 

されてはいますが、その用途は神殿説、望楼説、

 

など様々な説があり、

 

いずれも今尚、決着がついていないそうです。

 

 

私はこの建物を間近に見上げた時、その姿に、

 

ここで宇宙と交信をしていたのではないかなと

 

感じました。(バリバリの妄想です・笑)

 

 

 
 
 

 

土偶からのメッセージ

 

三内丸山遺跡の展示館内で、たくさんの土偶を

 

見ることができました。1つ1つがまるで

 

生きているようで、呼吸をしているようで、

 

私には何か大切なもののように思えました。

 

 

 
 
 

 

あくまでも個人的で勝手な想像ですが、

 

縄文時代の人達にとって土偶は、

 

神さまへのプレゼントだったのかなと思います。

 

 

 

現代の私たちが、日々の生活の中で扱う何か特別なもの、

 

例えばお守のような、土偶はそんな大切なもの

 

だったのではないかなと感じます。

 

出土した土偶の数々(三内丸山遺跡センター所蔵)

 

 

 

これからの日本

 

縄文土偶には、時代によるスタイルの変化もありますが、

 

地域と時代を超えて守り続けたある一定のあり方、

 

ルールがあったようです。

 

 

 

それは青森県や東北地方に限らず、

 

日本列島を縦横無尽に行き来する

 

縄文ネットワークがあったからこそだと思います。

 

 

「青森」の縄文遺跡群を旅する②〜遮光器土偶は必見!弘前市・津軽半島編〜

 

すなわち縄文人たちはそれぞれ各地での結束力

 

もありつつ、そしてまた地域を超えて分かち合うことの

 

できる者たちであり、

 

そしてそれらを1万年と永く途方もない時間、

 

大切なものを育み続け語り繋げる共通意識が

 

あったのだろうと思います。

 

 

これからの日本。

 

今はまだ先のはっきり見えないトンネルの中を

 

くぐり抜けている状況なのかもしれません。

 

 

 

でもその後には、まるで神社の鳥居を抜けた後の

 

大きく開かれた広がりの解放感のごとく、

 

私たちの意識のあり方も

 

縄文人のように、分かち合う共通意識を礎にして

 

より軽やかに、朗らかに、美しく、

 

互いが他を尊重し、愛で、慈しむ時代が来るでしょう。

 

 

 
 
 

 

 

もちろん今も十分に素晴らしい日本ですが、

 

きっと今後は1つ1つ個性的で違う形の

 

神聖な土偶たちのように、

 

私たちのあり方も、同じものが無い、

 

唯一無二の存在として

 

一人一人が更に輝きを増して行く、

 

自分自神になる

 

そんな時代になると私は感じています。

 

 

 

破壊と再生

 

実り多き収穫をより多く分かち合うために

 

一旦みなで日本の田畑を平にして整え整理する。

 

今、そんなプロセスの中にあるのだと感じます。

 

 

上下のヒエラルキーが少ない

 

個々一人一人を尊重する意識が

 

当時の縄文人にとって

 

とても大切なあり方だったと思います。

 

 

 

じゃあ現代の私たちは、

 

一人一人の笑顔と磨かれた各々の精神性をもって

 

この日本の土地、日本の自然を今後何万年と

 

土偶を頼ることなしに

 

日本ネットワークを駆使して

 

守り抜くことができるのだと思います。

 

 

私たち日本人には、それができるんだと思います。

 

この夏、私は青森を旅して、心からそう思いました。

 

 

 

それでは、今日も感謝で終わります。照れ

ありがとうございました。ニコニコ