4 最初の治療の感想 | 乳がん闘病中!!!!!!!

乳がん闘病中!!!!!!!

11年前の34才の時、第三子を出産数日後に乳がんの告知を受けました。ステージ4です。

子育て、仕事、治療等、自分なりに頑張ってます。
治療、副作用、症状など、少しでも似ている境遇の方や、そんな方を家族や友人に持つ人の参考になればいいなぁ…

一番最初の頃の治療…
パクリタキセルとハーセプチンのセット。
たしか、毎週病院に行っていたはず…
産後ということもあって、ずっと家にいるので、気持ちもめいってきてて…
唯一の外出が病院。
病院で看護師の人たちとおしゃべりをするのが楽しみだった…

一歩も外に出ないといっても、毎日、着替えて、メイクをして、ウィッグをして、いつでも外出出来る!ぐらいに身なりは整えてました。
病は気からなので、気分を上げるためです。
そんな私が、一番、気分が落ち込んだのは、お風呂の時…
産後なので、お腹はぼってり…帝王切開のキズもあって…髪の毛は抜けて、眉毛もまつ毛もない顔は、人相が最悪。
妊娠後期から動けなくなった私が出来ること…それは食べることだけで、そのおかげで、妊娠後期からたっぷり蓄えた肉…
顔も身体も、一年前の自分からは想像出来ないぐらい太ってるの…
お風呂なので隠せないガーン
しかも、放射線治療中は、体じゅうに線やしるしを付けられるので、体じゅうマジックの線だらけ…
お風呂のたびに、ズーンと気分が落ち込んだものです…ショボーン

治療は、右のリンパにも転移があったため、点滴は左腕からしかダメと言われておりました。
元々血管が細かったため、毎週、看護師さんはとても苦労をして、血管確保をしてくれました。
一度、細い血管に薬が流れた時は激痛が走りました。
やはり抗ガン剤…強い薬なだけに、痛いんだ…そう思ったのを覚えてます。

パクリタキセルをした後…毎回、異常な睡魔に襲われたのも覚えてます。
治療が終わって帰る時も、足元がおぼつかない、ふらふらと酔っ払いのようでした。
家に帰ると、夕方まで爆睡してましたぐぅぐぅ
そして、夜もぐっすり眠れる…
治療の日は、身体も疲れるのかよく眠れるのです。

パクリタキセルの副作用のひとつに白血球の数値の低下があります。
白血球の数値が低すぎて、治療ができなかった日もありました。
白血球の数値が低い…と言うことは…つまり、抵抗力の低下と言うことです。
病気を貰わないように、マスク、うがい手洗い、気をつけました。


13回の放射線治療を受けて、3クール目が終わったころ、私はPET検査を受けました。
結果は、お薬はよく効いていて、放射線治療もよく効いている…
一見、喜ばしい結果だったんですが、その時の私には、嬉しくない結果でした。
なぜなら…当時の私はもっと単純に考えていたからです。
ガンとか言いながらも、本当はもっと、簡単に治るだろって…
医師には、一生続くと説明を受けて、うなづいていた私でしたが、心は納得してなかったみたいで…この結果が本当にショックだった…
闘病生活はずっと続くんだ…
目に見えるカタチでしめされて、受け入れるしかなく…
私はポート埋込手術を受ける決心をしました。
ポートとは、点滴用の太い血管とボタン状の形をしたポートが繋がっていて、専用の針を刺せば、1発で血管確保🌟できちゃう夢のようなアイテムなのです。
その夢のようなアイテム…今まで拒否ってたのは…そうです、怖いからガーン
手術が必要だからです。
胸の少し上辺りの皮膚と肉の間に埋め込み、太い血管と繋ぐ手術をしなくてはいけないのです。

治療も回数を重ねると、段々血管がなくなってくるのです。抗ガン剤治療を続けていると血管が硬くなるそうです。
しかも、私は片腕しか治療には使えなかったので、血管が見つからない日は5回以上の失敗に耐えていました…と言うのは、私ではなく、看護師さんの方。
本当に見つかりにくい血管の私から、少しでも太い血管を探しだしてくれていました…いつも、ごめんね…痛いよね…ごめんね…と言いながら、一生懸命血管を探してくれていました。
これ以上、迷惑はかけられない!
その思いもありました…
とても怖かったけど、手術を受ける決心がかたまりました。

手術は、局所麻酔で、顔に近い場所だったので、色んな音が聞こえるし、見えるし、血の感触が伝わってくるし、何かが焦げる匂いはするし、嫌な気分でした。
麻酔が切れると、ずーんと重い痛みに襲われましたが、2日ほどで気にならなくなりました。

それ以後、ポートを使って、治療を受けていますが、本当に便利です。
もっと早く、手術の決心をすればよかった…今はそう思ってますニヤリ



この治療…私は17クール頑張りましたニコニコ