日本はアメリカと行った戦争によって、多くの人々が辛い経験をしているために、多くの日本人が「二度と戦争はしたくない」と、そう思っていることでしょう。

 人間ならば誰もが「幸せに生きたい」と願うものです。

 そして悲惨な戦争を経験した日本に生まれた人ならば、誰もが「人間の幸せと平和は重要な関係である」と、そう考えるかもしれません。

 そのために多くの日本人が、「世界中の人間が平和を望んでいる。世界中の人間が戦争や侵略を嫌っている」と、そう安易に考えてしまうのかもしれません。

 しかし悲しいことに、戦争と侵略を望んでいる人たちもまた、世界にはたくさんいるのです。

 なぜなら、戦場に絶対に立つことのない権力を持っている独裁者たちからすれば、実は「平和よりも戦争や侵略こそが幸せだ」などと考えてしまうからです。

 なぜなら彼らは、その戦争が勝つものであった場合、戦争や侵略によって、自分の富や権力が増えることさえあるために、彼らからすれば、平和よりも戦争と侵略こそ、ありがたいのです。

 つまり世界には、戦争や侵略を、自分の人生の一つの手段にしている者もいる、ということです。

 簡単に言ってしまえば、「自分さえ利益を得られれば、他人のこれまでの努力も、涙も、命さえも、そんなことは一切関係無い」という貧しい想いのもとに、未だに個人のレベルで詐欺や強盗や殺人が多発しているように、戦争や侵略といった国家レベルでの詐欺や強盗や殺人でさえも、まだまだ十分に起こりうる、ということです。

 すなわち平和と戦争と侵略に対して、考え方は人それぞれであるわけです。

 このように、お人よしである私たち日本人は、実は戦争の本当の恐ろしさを知っているつもりで、実は戦争の本当の恐ろしさを何も知らないのです。

 日本人はよく世界から「平和ボケしている」と、そう言われてしまいますが、それは、自分たちに危機が迫っているにも関わらず、「日本は平和な国である」と勝手に勘違いしているからであり、そして「私たちは平和を愛しています」と世界に向けて連呼を続ければ、それだけで自分たちの平和を守っていくことができると、安易に考えているからです。

 しかしノーベル平和賞をもらったダライ・ラマにしても、年幼くして拉致された横田めぐみさんにしても、平和を愛しているでしょうが、しかし中国や北朝鮮によって、彼らは未だに悲惨な生活を強いられているのです。

 ですから単純に言ってしまえば、私たち日本人は、戦争を知らず、平和に対する考えが浅はかなのです。

 インド独立の父であるガンジーは、無抵抗主義によってインド独立を勝ち取りましたが、無抵抗主義というのは、相手の良心に訴えかけるからこそ、通用するものであって、「自分さえ利益を得られれば、他人のことは一切関係無い」と考えている、そうした良心が麻痺してしまった独裁者たちには、無抵抗主義は全く通じないのです。