マルクス思想については、あえて簡単な説明にしますが、今から160年昔、マルクスは次のように考えました。

 「奴隷と市民、農夫と領主、労働者と資本家、こうした『支配される者』と『支配する者』という不平等な階級は常に続いている。だからこうした社会は暴力を使ってでも破壊し、階級の無い平等な社会を作るべきだ。
 それが社会主義であり、そして共産主義である。
 なぜなら貧しい労働者たちは、僅かな賃金で、汗水流して必死に働いて、家族との時間も無いというのに、豊かな資本家たちはのんびりと優雅に過ごして、そして莫大な利益を得ているからだ。
 つまり資本家が労働者たちを搾取しているのだ。すなわち不平等な資本主義社会そのものが間違っているのだ。平等な社会主義や共産主義の世の中とは、資本主義が進化した世の中である」

 もの凄く簡単に言ってしまえば、これがマルクスの考えたことでした。

 マルクスが考えた共産主義の世の中は、「自由」よりも「平等」を重視するために、国民が共同で財産を持って生産活動(仕事)を行い、「私有財産」というものが認められていません。

 つまり個人で財産を持つことができず、国が財産を持っているわけです。

 そして社会主義とは、私有財産を制限しながらも、ある程度は認めていて、工場などの生産手段は、全て国が管理する世の中であり、資本主義国家が共産国家になる前段階の、途中の世の中のことを言います。

 ですからマルクスの考えからすれば、資本主義の進化した世の中が社会主義であり、そして社会主義がさらに進化した世の中が、共産主義なわけです。

 マルクス思想の影響を受けた国は、ソ連や中国や北朝鮮、東ドイツ、ハンガリー、ルーマニア、カンボジアやベトナムやキューバなどです。

 しかしこれらの国は、ある程度は私有財産が認められていましたから、正確には、「共産主義国家を目指している社会主義国家」と言えるでしょう。

 そして社会・共産主義を一括して、マルクス主義と言い、共産主義革命を起こして、マルクス主義に則って国家運営している国のことを、マルクス主義国家と言うわけです。

 しかしマルクスの考えた通りに国を運営したら、どの国も国が豊かになることはなく、結果的には皆が貧乏になってしまいました。

 たとえば第二次世界大戦後の中国は、平等な世の中を目指して、共産党が「人民公社」というものを作って、国が農家から強引に農地を奪い取って、国の管理の下で平等に人々を働かせました。

 そして作った農作物が「平等にみんなのもの」になると、人々の労働意欲は下がり、中国の農作物の収穫量は著しく下がったのです。

 当時の中国の人々は言います。「昔は牛が死んだら泣いた。なぜなら自分の牛だからだ。しかし今は牛が死んだら喜ぶ。なぜなら肉が食べられるからだ」と。

 しかし中国は、様々な政策の失敗によって、餓死者が大勢出たことで、改革開放政策を行いました。

 そして今度は人民公社を解散して、農地を人々に割り当てて、働いた分だけ農作物をもらえるようにすると、やはり人々の労働意欲が上がり、中国の農作物の収穫量は増えたのです。

 つまりマルクスの考えたとおりに、「平等」を求めて国を運営したら、「貧乏の平等分配」が始まってしまったわけです。

 しかもそれどころか、マルクス主義国家はどこもかしこも、一部の特権階級が生まれて、「平等」さえ築かれず、独裁政権が誕生してしまいました。

 そして実はこのマルクス思想は、「宗教はアヘンであり、霊なんてものは存在せず、人間は物質の塊である。そして暴力というものは、赤子を生む時の陣痛のようなものであり、理想社会を実現するためには仕方がない」と考えています。

 つまりマルクス思想は、「暴力肯定、宗教否定の思想」なわけです。

 そのために、ソ連やカンボジアや北朝鮮、そして中国などのマルクス主義の国は、善悪の価値観が歪んでしまし、そして人権や人命を軽くみて、自由を認めない代わりに、常に暴力的な匂いが付きまとっているわけです。

 マルクス主義国家の象徴的な色は赤ですが、マルクス主義国家にとって、思想的に赤くない人間は、「不良品」となってしまうのです。

 そのためにソ連のスターリンや中国の毛沢東といった、マルクス主義国家の独裁者たちは、殺戮に次ぐ殺戮を繰り返して、彼らが殺害した人間の数を合わせると、一億人以上になると言われているほどで、それはユダヤ人を迫害したヒトラーをはるかに上回る残虐性と暴力性を秘めているのです。

 理想な世の中を求めていたマルクスも、全く予想していなかったでしょうが、彼の考えた通りに国を運営したら、どこもかしこも暴力的独裁国家になってしまったわけです。

 「赤い国旗は血を拭くためには役立つ、なぜならあまり血の色が目立たないからだ」などと、皮肉られてしまうのが、マルクス主義だったのです。