かつてマザー・テレサが日本に訪れた時、彼女はそこんな日本を見て、こう言いました。

 「日本は貧しい国です」と。

 インドのスラム街からやってきたマザーが、経済と技術の大国日本を見て、「貧しい」と言ったわけです。

 そして彼女はこう続けました。

「日本は貧しい国です。なぜ日本人は隣で苦しみ悲しんでいる人がいるというのに、救いの手を差し伸べないのですか?」

 つまりマザー・テレサは、自殺する人々、イジメで苦しむ子どもたち、ネット難民となってしまった方々などに対して、「貧しい」と言ったのではありません。

 そうした悲しみに涙している人々が、日本中にたくさんいるというのに、「自分がカッコ良ければいい」、「自分が美しければいい」、「自分が面白おかしければいい」と、常に「自分が、自分が」と自己中心的で、利己的で、自分のことしか考えずに他人に無関心で生きている私たち日本人の心に対して、彼女は「貧しい」と言ったわけです。

 彼女は常々、「愛の反対は無関心である」と述べていましたが、愛無く、大義を忘れ、公のために生きることやめてしまった、そんな私たちの無関心な心に対して、マザーは「貧しい」と言ったわけです。

 では、この国を築き上げてきた先人たちが、マザー・テレサに「貧しい」と言われてしまった、今の情けなく、ふがいなく、そして滅びようとしている日本を見たら、果たして何と言うでしょうか。

 天下国家という大義のために身を投げ出し、命を差し出し、そして桜の花びらのごとく散っていった方々が、とある大国の言いなりとなり、そして他の大国によって滅ぼされようとしている、そんな今の日本の現状を見たら、果たしてなんと口にするでしょうか。

 今の私たちは、こう言われてしまうのではないでしょうか。

「私が命をかけた日本はもっと美しかった。

 日本人はもっと他人に対して思いやりがあり、決して無関心ではなかった。

 少なくとも日本は大国にも決して媚びへつらうことはない、そんな誇りある美し国であり、もしも外国からの脅威があるならば、必ず日本人は大義のために立ち上がり、常に公のために生きることを考えていた。

 私が愛した日本を、どうかアメリカから護って欲しい。

 そして、どうか、どうか、中国から護り抜いて欲しい。

 日本は押せば引く国などではなく、耐え難(がた)きを耐え、忍び難きを忍びながらも、押されても決して引くことのない強く逞しい国であった。

 どうか今一度、私たちが愛したこの国を、そんな誇り高き毅然たる国家に造り替えて欲しい。

 大和魂はどこにいってしまったのだ?」

 日本を築き、栄えさせ、そして護り抜いてきた先人たちが、今の日本の有り様を見たら、きっとこのように嘆き悲しむことでしょう。

 そうした叫びが、八百万の神々が住むと云われている高天原から聞こえてくるように感じる日本人は、果たしてどれだけいるのでしょうか。



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 このまま日本人が平和ボケを続けていたら、本当にこの国は中国に滅ぼされ、結局、苦しみ後悔することになるのは、私たち日本国民自身です。
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 どうか共に、この日本を護り抜いていきましょう。