かつて聖徳太子は、小野妹子(おののいもこ)を隋(ずい・当時の中国)へ送り、「日(ひ)出(い)ずる処(ところ)の天子(てんし)、日(ひ)没(ぼっ)する処の天子へ」という手紙を持たせました。

 そして相手の当時の中国の皇帝を、「小国が何をぬかすか」と、怒らせたことがあります。

 すでに述べたように、それまでの日本は、中国から「対等な国」として認められていませんでした。

 中国に皇帝がいて、日本や韓国などの周辺諸国は、その皇帝に頭を下げることで、「王」として認められて、国を治めることを許されている状態だったのです。

 つまりかつての日本も、現在の日本と同様に、大国の属国であったわけです。

 しかしかつての日本は、大国中国に対して、「東の天皇、つつし敬みて、西の皇帝に白(もう)す」と述べました。

 つまりかつての日本は、「西の貴方は皇帝であるが、私は東の天皇である」と堂々と述べたのです。

 それは、「大国から比べれば、たとえ我々の国が小国であろうとも、大国に対しても決して媚びへつらうことはしない」という、我が国の誇りの現れであり、そして「先を歩む優れた他国から学ぼう」という、形を変えた謙虚さの現れでもありました。

 こうして日本は、中国に「対等な国」として認めさせたのです。

 しかし現在の日本は、アメリカという大国の言いなりとなって、不正義な戦争の支援まで行って、そして中国という大国によって、消滅の危機にまでさらされています。

 こうしたことを考えた時、日本は進歩しているのでしょうか、それとも衰退しているのでしょうか。

 たしかに経済的にも、技術的にも、現在の日本と聖徳太子の頃の日本を比べれば、日本は進歩を遂げたようにも見えます。

 しかし日本には、「自分の国は自分で護る」という気概がまったく無く、大国の言いなりとなり、そして大国によって滅ぼされようとしています。

 ならば日本は、本当の意味では進歩など遂げてはおらず、実は衰退しているのかもしれません。

 つまり今こそ日本は、再び大国に対して、毅然とした態度をとって、この日本最大の国難を乗り越えていくべきなのです。

 すなわち、今一度、日本は、「日(ひ)出(い)ずる処の天子、日(ひ)没(ぼっ)する処の天子へ」という態度を、二つの大国に対して取る気概を持つべきなのです。