今日の仕事の帰り、子パンダの曾おじいちゃん・曾おばあちゃんの家へ行きました。


子パンダは家で宿題をしていましたが、ちょうど良いところで切り上げてバスで来ました。


パールハーバーや広島や沖縄など戦争に関する番組が放送されていたので、4人で見ました。


曾おじいちゃんは、兵隊検査を終えて赤紙を待つばかりの時に終戦を迎えました。


「同級生は次々に特攻隊などに出征して行ったのに、自分の所には赤紙がまだ来ない…


どうしたものか役所に聞きに入ったんだけど、『君の本籍地は別の所だから、少し時間がかかるので待っていなさい』って言われたから待っていたんだよ。


その間50人以上見送ってきたんだ。


出征する人を見送る駅での事なんだけど、やっぱり誰もが行きたくないんだよ。駅の柱にしがみついて離れないんだよな。。。


見送る側は嫌な役目なんだけど、そのしがみついている手をはがさなきゃならないんだ。。。


列車に乗せなくちゃいけないしね。


今でも夢に見るよ。」


「カタカナの『マッチ』とかは敵国の言葉になるから!って『箱型側面当て擦り火花発生機』って言わなくちゃならないし、野球は禁止で剣道と柔道のみになるしね。」


「前に住んでいた所の近くにある落下傘部隊の落下傘を作っている軍需工場は狙われて、空襲はそこの周辺ばかりだったよ。


そこもは防空壕を掘るとすぐに地下水脈があるから水が出ちゃって、結局防空壕を掘れなかったよ。
いざとなったら、家の裏にある古い井戸へ飛び込むしか無かったんだ。


軍需工場周辺に落ちた衝撃は、周りの畑に20~30メートルの大きな穴がボコンボコンと開いていて、度肝を抜かれたんだよ。
その爆弾が井戸に入ったらおしまいだったよな。」



等々、色々と話してくれました。


曾おばあちゃんは耳がとても遠いので、笑顔で頷きながら、テレビを見たりしていました。


曾おじいちゃんは、一昨日・昨日と夏バテでお粥した食べずに寝込んでいたそうですが、曾孫を見た途端に、普通の夕飯+唐揚げ3個+草津のお饅頭2個をペロッと食べました。


曾孫のお陰で元気になった!と喜んでいましたが、子パンダと私は、曾おじいちゃん・曾おばあちゃんに感謝です。


大変な時代を生き抜いてくれてありがとう。


命を私達まで繋いでくれてありがとう。


長生きしてくれてありがとう。