一夜明けて。

再び町田帰りです。
お客さんは来なかったけど、そこに居ることの意義はあると思う。
誰かがいつものように歌いに来てくれたら、そこにいて笑顔で迎えたいと思う。

地震の話。
最初に揺れている最中、休憩中でした。
一度ならたまにあるし、という感じで二度目の揺れの時、ピアノを弾いていました。
さすがに弾き続けられなかったです。

即座にピアノから離れて、線路沿いにある建物の中から、電車がグラグラ揺れているのを見ていました。
ここまでの揺れを体感したのは初めてでした。気持ち悪くて、ずっとしゃがんでました。

一緒に居たのは、皆さんご年配の方たちで、とにかくみんなケガしてないか?歩けるか?という感じで駅まで歩く事に。
駅に着いたら、皆さん町田近辺の方たちなので、それぞれお家へ向かわれました☆

私は、その後新橋でオールディーズナイトの予定だったので、シンセサイザー背負って機材持っての移動。
体力も普通に動くより消耗するので、なるべくじっとして居られるところに居ようと駅を動きませんでした。

良く行く所とは言え、駅前くらいしか知ってる所は無くて。でも、お店とかは閉まってたし。

最低限必要な物。軽い食料、水、で次にトイレ。連絡取れないのが、いちばん不安だから充電出来る所。
って考えて、駅の柱にくっついて座ってました。

生まれ育った岡山県は、本当に災害が少ない所。今まで生きて来た中で、避難した事も無いし、うちがグチャグチャになったことも無い。
どうしていいかわからない。
冷静に考えられないから動かなかった。知らない所で迷い子になって充電切れて連絡取れなくなったら、1番最悪だと思った。

待ってる間、情報網はmixiとTwitter。電話はつながらずだったけど、iPhoneにSkypeとviberのアプリをダウンロードしてたから、ひとまず実家にも連絡出来て、無事を伝えました。

一緒に住んでる妹は、会社から歩いて家へ帰ったけど、うちの中グチャグチャだし一人じゃこわいしとの報告を受けて、連絡取れるようにと思い、Skypeでチャットしたりして。
慣れてる家だけど見慣れない光景のそこに、余震の続く中ひとりぼっちは怖いと思う。

そんなこんなを考えてて、とりあえず自分が無事でいられそうな選択をした。



とは言え、
ひとりぼっちは不安だし。

Twitterとmixiでみんなのツイートにほっとしたりはげまされたり。
ありがとうございました!

メールを受信できて、知り合いの安否を確認できて。ホッとするのと心配が交互にやってきて、気持ちはグラグラ。
明日からの生活とか、来週の本番とか自分の事ばっかり超マイナスにぐるぐる考えてたら、隣にものすごく元気な大学生の女の子が居た。
その子は、雰囲気でいうなら、デビュー当時の広末涼子っぽいサッパリした感じで、その場にいる年齢も様々な見ず知らずの人とコミュニケーションをはかっていました。
携帯を充電しながら、ひたすら待っていた。
こどもの無事を心配つつ電話が壊れて右往左往してるお母さんの代わりにその人の知り合いに電話したり、メールしたり。
充電器のない人に快く「どうぞ!使ってくださいね」って言えたり。
本当にかけらも嫌な感じじゃなくサラッと言ってた。自分も不安だろうに、終始笑顔を絶やさず。
彼女が居たから、ほっと出来た。

約8時間。ずっとそこにいた。
色んな人が通って、色んな人が帰って行った。結局、お兄さんが迎えにきてくれる事になり、「良かったね~!」って言いつつ、二人で暖かいコーヒーを飲んだ。

そして私も。
やりとりしてて、「迎えに行くから待ってて!」って自分の事のように心配してくれて、危険もかえりみず迎えにきてくださった、BEbornのまおさん、ちよねぇ。
ものすごく心強かった。来てくれるって言ってくださっただけでも、嬉しかったのに、来てくださってうちまで送ったくださって。
本当にありがとうございました!

そんなこんなで、人の暖かさを改めてひしひしと感じました。

帰ったら…
うちのなかが大惨事~…。
洗面所の電気は割れてるし。
台所のグラスも落ちて割れてたみたいだし。
私の部屋は棚から全ての本やらCDやらが落下して、足の踏み場が全くなかったです。
ピアノの部屋はなぜかまったく無事でしたが。
ピアノには守り神でもついているんでしょうか…?
一番ビックリしたのは、お風呂が動いてた事です。壁にぴったりくっついてたハズの風呂釜が、壁から隙間五センチくらいの所へ移動していました。

東京も大変だったけど、それ以上に大変な被災地の方々。
被災地に親戚、知り合いがいらっしゃる方々。
まだまだ安心は出来ないと思いますが、助け合って乗り越えて欲しい、人災がおこりませんようにと心から願います。