書けー!!
と言わんばかりに、言葉が降りてくるので連投✨
きっと今、必要な人がいると思うので、
このままじゃんじゃん書きます。
うちね、
今じゃ家族の仲がいいっていろんなところで言われるようになったけれど、
昔は、不幸のオンパレードで、一つの問題が解決したら、次はこっちからかい!っていうくらい問題ばかりで死にそうな時があった。
だけど、昔のプロフィールにも書いたように、
歩くのもやっとな状態のときに、ある霊山を登ることになり、
果てしなく続く山道を見上げては、
いったいどこまで登ればいいの⁉️
もう、無理だよ‼️
私には無理だ。
と思ったときに、ふと足元を見た。
その時に、
『ああ、そうか。上を見上げるからしんどいんだ。
この目の前の道に足を一歩一歩踏み出すだけならできるかもしれない。』
そう、気を取り直して、歩いていった山道のなかでの気づきが、今の私の原動力になっている。
そして、そこから本当に、目の前のことに一つひとつ取り組むなかで、
気づけば今のような現実が広がっていくようになっていました。
それをきっかけに私は、
目には見えないけれど、たしかにある『この世の仕組み』を探求するようになり、
それを伝えるようになった。
それは、この10年積み重ねてきた体験があるからなんですよね。
何事もなくハッピーな毎日が続いていたら、
きっと伝えることはできなかったのだと思う。
そして、自己受容を伝えるようになった今、思うのは、
今まで辿ってきたすべてが自己受容に繋がっていたということ。
問題を解決したくてたまらなかった時も、
もがいて苦しんでいた時も、
誰かを羨ましいと感じていた時も、
自分の無力さに腹が立っていた時も、
一人で孤独を感じていた時も、
ぜーんぶ全部自分にとって必要なプロセスだった。
そうやって私は自分という器を磨いていたのだと思う。
自己受容って、
自分のあるがままを受け容れるってこと。
それは、
『今そうであるという自分』をそのまま、
そうかそうかとわかってあげるってことなのだと思う。
そして、大前提として、
私たちはみーんな大丈夫という地続きのなかで生きているということ。
そのなかで、体験していることに過ぎないんですね。
闇は闇のままで。
光は光のままで。
大切なのは、
ただそうであるということを、
そうかそうかと、誰よりも自分がわかってあげることだと思うのです。
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