世界で歌い継がれますように

 

昨夜は

笠井家にとっても

大事な

おかみさん

 

海老名香葉子さん

秋には90歳になられます

見えない!

お話を聞きに

台東区にある

生涯学習センターの

ホールへ

 

 

 たくさんの方がいらしていました

 

じつは雷門からの

行き方を検索して

 

雷門から6分

 

思ったら

 

それは設定がになっていて

(・・;)

徒歩だと17分

 

でも

激しい雨も上がり

濡れずに

気持ちよく

ちゃんと歩いて

やってきました

と、歩いただけでプチ自慢

 

 

 

 

東京大空襲で

家族全員を奪われた

香葉子さんの体験

あまりにも有名ですが

 

家族を全員亡くした

小さな

女の子の香葉子さんが

 

どう心を繕いながら

生きていったのか

 

香葉子さんの

流れるような

優しい語り

とはあまりに

乖離した

残酷切ないお話で

 

私は何度もぽろぽろと

涙を流しました

 

映像も何もないのに

この優しい語り

迫力

ひきこまれました

 

悲しい時は

山のてっぺんで思い切り泣けば

誰にも聞かれない

 

あとはスッキリと

何事もなかったような顔で

ふもとに降りて

笑顔で過ごしていた

 

そんなお話は

胸が痛くなるほどでした

 

長刀を

やがて

竹やりに変えて

 

香葉子さん自身も

お国のためにと

生きていた少女時代

その

戦争の無残さ

残酷さ

 

ある日、おばあちゃまが

大事な想い出の指輪などを

お国のため

と供出する姿を見て

 

弾薬の原料になる

セルロイドでできていた

キューピー人形を

大事に内緒で

隠していたけれど

 

おばあちゃまの姿を見て

供出した話のほか

 

家族との思い出は

涙なしでは聞けず

たくさんのエピソードは

どれもこれも

現実であり

ゆるぎない事実

であると思うと

また涙が止まりませんでした

 

戦争は絶対に

してはいけない

 

その想いを込めて

香葉子さんが書いた詞

 

パパちゃまたちは伝えます

 

田中和音さんが作曲し

美しいができました

 

祈りをこめて

会場では

 

台東初音幼稚園の園児たちが

可愛く日本語で歌い

 

そしてそのあと

東京朝鮮第一幼稚園の園児たちが

国の言葉で歌い

 

その他

 

英語

 

中国語

 

歌われましたから

 

1時間半のうちに

6回聞きましたから

 

覚ました

 

 

世界中で

それぞれの国の

言葉で

歌われますように

 

そして

平和を

みんなが

心から祈り

そしてそれが

信じられる

これから

なりますように…

 

 

ババちゃまたちは伝えます

 

  

 

 

会場で配られた詞

 
疎開にいったために
家族の中で唯一生き残った
香葉子さん
 
疎開の前に
 香葉子さんのお母さんが
 
あなたは明るくて元気で強い子よ
えくぼがあるんだから
いつもニコニコしているのよ
そうしていたらみんなに好かれるからね
いつもニコニコしていなさいよ
 
涙をポロポロ流しながら
遺してくれた言葉
 
香葉子さんは本当にお母様の言葉通り
今夜も優しい笑顔を見せてくださいました
流石、親孝行な娘さんです