別の人格
食卓で同じものを食べ
同じように
教育的な指導を
してきたはずでも
3人の息子たち
は
みな性格が違う
それはつまり
それぞれ
生まれつき
持っているもの
が
違った
ということ
性格や性質
は
誕生後
学びや環境の中で
変わっていくもの
でしょうが
それでも
1人1人
すでに
生まれ持ってきている
ベース
は
兄弟でも確実に
違う
だから
何があっても
育て方が悪かった
と
思わなくていい
特別な宗教思想は
持っていないけれど
子育てのさまざまな
必然的でしかない
ままならなさ
を
振り返ると
きっと、神様が
こんな子を
産み、育て
学んでごらんなさい
と
今世の私に
課題
を
与えられたに違いない
子どもたちは
神様から委ねられた
預かり物
自分の子
ではなく
社会の子
子どもが
たいして好きではなかった
私が
子どもを3人も望んで
持つことになったのは
私の
今世での
学び
であるように
たとえば
お子さんを
望んで
持たなかった
望んでも
持てなかった
と言う方は
すでに前世で
子どもを育てる課題
を
全クリ
コンプリート
しているからで
今世では
自分の人生を
生きていいです
生きなさい
と
言われているに
違いない
だから、そういう方は
言葉が通じない動物と暮らしたり
他の人を育てる、応援しているなど
難易度が高い課題に向き合っている人が多い
…そんな気がして
ちょっぴり羨ましく、仰ぎ見てしまう
2003年5月1日 撮影:石川正勝
今日は
三男の誕生日
三男が生まれた
あの日から
20年
息子たちを
3人
育ててきて
子育てという課題
への
上手な答えは
なかなか
出せてはいないけれど
…ただ言えるのは
3人とも
20代となった
という
現実
そして
ようやく
ここまで来た
という現実
(╹◡╹)
みんな違って
みんな良い
親もきっとそうだ
ということ
子どもは、預かりもの
我が子と思わなければ気持ちが楽になる
…のかもしれません
社会に役立つ人になってほしい
プレッシャーを受け、追い詰められた時こそ
優雅にふるまえるひとでいてほしい