真冬の空の青さに
朝、散歩にでたら
真っ青な空でした
清廉潔白とは
こういう空のことかしら
…などと感じて
空を仰ぎました
今は
この人にこうされました
といって
パワハラ、セクハラを
訴えることができる
時代になりました
けれど
それでも
顔出し実名で
性暴力被害を訴えた
伊藤詩織さんのように
声を上げたことで
そのことを
誹謗中傷
されることもあります
また
1994年に起きた
松本サリン事件で
被害者のひとりである方が
当初まるで
容疑者そのものであるように
報道をされ続けた時に
痛感した
思い込みと
マジョリティの恐ろしさ
大きな新聞もテレビも雑誌も
完全に限りなくクロとして
その方を取材し
報道し続け
許せない
メディアと社会による
恐ろしい暴力だったと
報道記者だった身でも
思い出しても
恐ろしく
震えます
そして
今は…
どこかの週刊誌が
書いたものや
芸能人が
ブログで書いたものなどを
そのまんま
ニュース
にしている記事
を
目にする機会が
増えています
現場を取材したり
確認作業をしないまま
〇〇週刊誌によれば
〇〇さんのブログによれば…
的に
ニュースが
次々と同じように
報道されることに
私は
一抹の不安を感じています
ハラスメントがあった
と
声をあげたひとがいたら
それを伝える自由も
増えたけれど
一方では
まったく何もしていないのに
この人から
ハラスメントを受けました
と
大声をあげられたら…
たとえ
何もしていなくても
社会は
その人を
白い目で見て、
クロとして批判し
訴えられたひとが
仕事を失ったり
人生を変えられてしまう場合も
あるのです
それはまるで
通り魔にあったかのよう
な状況です
周防正行監督の
ちかん冤罪の映画
それでもボクはやっていない
のようなことは
日常的に
どこででも
誰でも
起こりうることだけに
やはり
見ているこちら側である
私たちが
ニュースを目にするときは
いつも
これは本当だろうか?
という目を持つことを
忘れてはならない
と思うのです
報道されていることが
本当かどうか?
取材はできなくても
立ち止まり
考える力
は
持ち続けたいものです
やっていないことの証明は難しい
何もないことを証明することは難しい