山百合


母が好きで

病室でも

自宅でも

ずっと途切れないように

飾っていた

カサブランカ


でも

彼女は本当は


山百合が1番好きなのよ


言っていました


東京の街中では

山百合は

もちろん咲いていないし

花屋でも見かけないので


いつのまにか母は

東京に順応して


華やかな

カサブランカが好き


言うようになりました



母は、幼い頃

愛知県の出沢に

疎開した時に

山百合の美しさに

惹かれたようです


崖の、ね

絶対に手が届かないところに

いつも咲いているの

だから決してとれないの

…そんなところも好き


言っていました


早いもので

母を見送って

9月23日の深夜で

20年です


あっという間でもあり

とてつもなく

孤独でもある

20年

でした


自分はどんなに

自由に羽ばたいていると

思っても


よく見ると

青空の上には

母の大きな手が

鳥籠のように

私を包み込んでいて


だから


勉強も、病院も、いじめも、

遠出も、就活も、子育ても

何かを決断する時も


どんなことも

怖くはなかった


それが

母が亡くなると

その鳥籠を作るように

私を包んでいた

母の手が

すーっと消え


見上げると

真っ暗な空が

どこまでも広がっていて

宇宙の果てまで

私は1人なのか

不安になったことを

覚えています



綺麗だった母は

カサブランカのように

華やかに

香り咲いたけれど


母はやはり

山百合


悲しさや

辛さや切なさを

私には一つも

溢さなかった母


女としての

苦しみも

聞いてあげられなかった

幼かった私には


彼女は

心を完全には

見せてくれなかった

崖の上に咲く

山百合


母1人子1人で

こんなに身近にいたのに

私が彼女に

寄り添いきれなかったのは


母が

山百合のように

孤高だったから


彼女のせいにして

悔やまないように

しています



悲しんでも

悔やんでも

時は過ぎゆく…


母は

たった半年の闘病で

65歳で

亡くなりましたが


遺影は

私の結婚式での

集合写真から

切り抜いたもの


だから


遺影の中の母は

永遠に53歳


私はこの時の

母の年齢を

超えてしまいました


悲しくて、哀しくて

そして

少し羨ましい



あなたは今どこにいるのでしょうか…