ハタチが楽しみ
三男が
19歳
になりました
19年前
私は
3回目の出産を
立会い出産の夫がいても
1人では
無理
でした
それは
今までいつも
分娩室の外で
待っていてくれた母が
半年前に亡くなり
今回は
分娩室の外に
母がいないから
でした
母は私の出産を
待っていてくれない
その喪失感
不安感
焦燥感
孤独感
…
私はすでに
マタニティブルー
に
陥っていたのです
出産前
友達の何人かに
出産の時
付き添って欲しいの
と
頼みました
セラピストの
志村季世恵さんのほか
少子化の取材で出会い
意気投合した
日本ダウン症協会理事の
水戸川真由美さん
という女性2人のほか
ステールのカメラマン
ビデオのカメラマン
そして
整体の先生と
夫・笠井信輔を含めて
男性が4人
という
メンバーと一緒に
私は三男の出産に
のぞみました
4月30日の
夜8時
一斉メールで
みなさんに
破水しました
これから病院に向かいます
よろしくお願いします
と連絡
私と笠井が
病院に着いた時には
スチールの
石川カメラマンが
すでに到着していて
お疲れ様でーす
って(笑)
これからお疲れ様なのに
現場挨拶みたいに
言ってくださり
笑いました
マタニティブルー
の私には
いつものような
日常の空気感が
一番の癒しでした
陣痛が来ている間も
分娩室の外のエリアで
みんなで
あれこれ話して
笑って
痛みをのがして…
を
繰り返して
そして
出産を迎えました
じつは
友達にも
一緒にいてもらいたい
という
私の願いを聞いた
助産師長さんは
万が一、他に出産する人が
いなかったら
お友達にも
入っていただきましょうね
と、笑顔で
言ってくれたのです
それは私が
良い精神状態で
出産を迎えられないと
出産後
虐待に走るかもしれない
という
当時にしては
かなり早く
出産時のケアの
大切さ
に気づいていた方
だったからです
その一方で
他に産婦がいたら
夫しか立ち会えない
ということも
もちろん私は
了解しました
出産が多いこの病院
では
他に産婦がいるのは
当たり前のことでしたから
お友達が分娩室に入る
などということは起きない
…と思っていたわ
と後で
その助産師長さんに
聞きました
(^ ^)
そりゃそうですね
私の願いは聞いてくれた
という事実
こそ
マタニティブルー
だった私には
大事なことでした
そして
私が病院に着いた時
他に産婦は
1人もいなかった
のです
この病院では
本当にレアな事態
でした
お陰で無事に
友達に見守られながら
気持ちの良い出産が
できました
撮影:石川正勝
そして入院中から
母子同室で
ずっと三男を
抱っこしていたら
私のマタニティブルーは
治ったのです
あれから19年…
出産前
骨盤を開いてくれて
出産後には
骨盤を閉じる施術を
してくださった
整体の先生は
残念なことに
もうこの世には
いらっしゃいませんが
他の皆さんは今でも
三男のことを
遠く近く
見守ってくれている
力強い存在です
七五三や
イギリスに留学する時など
三男の節目には必ず
皆さんが
駆けつけてくれます
そして
三男は
来年
20歳
ハタチ
その時はみんなで
盛大に
互いのあれこれを
労いながら
若い三男の
これからを祈って
一緒に
お祝いしたい
やるぞ!
って、決めています
その日が楽しみです
頭が良くなくてもいい
健康で、人に迷惑をかけなければいい
と思って育ててきましたが
今願うのは
人の痛みがわかる、誰かの光になって欲しい
ということです