諦めたものの多さ
写真は
私の入院前に、友人が
ますみちゃんちの猫の
アーニャに似てるから
と送ってくれたお菓子
夫の笠井信輔の闘病が
終わった時
私は今更ながら
自分の脚が
手術しなければならないほどの
痛みと歩行困難があることに
気が付きました
最初に行った病院で
手術をすること
信頼できそうな明るい先生に
手術をお任せする
…と言う気持ちを
持てたものの
最後にもう一つ
第三者に
背中を押してもらいたい
気持ちがありました
セカンドオピニオンというよりも
それは
ただ励ましてもらいたい
そんな想いでした
私は近所に住む
医療関係に詳しい
ママ友のご紹介で
お茶の水にある
クリニックに行くことにしました
そこは
手術は行っていませんが
ママ友には
変形性股関節症について
いろいろ不安なことは
相談するといいと思うよ
と言われました
紹介していただいた先生は
大学病院での経験をもとに
開業されていて
メガネをかけた、いかにも
スマートな印象の方でした
先生は
私のレントゲン写真を見ると
静かな口調で
なぜ今まで
手術をしなかったのですか
とお聞きになりました
たいていの先生に
そう言われるので
私はこれまでのように
手術のときの全身麻酔が怖いこと
果たして手術で本当に
歩けるようになるのか
不安もあること
を伝えました
先生は静かにうなづきながら
聞いてくださいました
そして
麻酔のことはきちんと
麻酔科の先生と
お話になるといいですね
と言ったあと
これだけ長い時間
脚が痛い生活で
いろいろやれないことも
増えて行ったと思いますけれど
一番、諦めるのが
辛かったことは
なんですか
と
私に問いかけました
そんな質問が来ると
予想もしていなかったのですが
その口調は静かなのに
スッと胸に刺さるものでした
痛みの中で
いろいろなもの
いろいろなことを
ひとつひとつ諦めていく
その中で
一番諦めるのが
辛かったものは
何か
私の頭の中を
何かがぐるりと回り
過ぎていきました
余りに
ありすぎました
もともと歩くのが速かった私には
ゆっくりしか歩けないことが
ストレスでした
普通に小走りすれば
さっと乗れるはずの電車も
エレベーターも
もはや乗れない
とわかっているので
走らなくなりました
いえ、そもそも
走れなくなっていました
階段はいつも
2段飛ばしで
駆け上がったり
1段飛ばしで
駆け下りたりしていたのに
その時にはもう
ゆっくり踏みしめながら
上り下りする
しかありませんでした
買い物をしていても
重い買い物は不可能になり
買いたいものを
必要な分だけ
全部買えることは
できなくなりました
あっちのお店にも寄りたいな
と思っても
歩いてそこまで行くのがきついので
一か所でさっと買って
帰るしかなくなりました
行きたいお店や場所も
車で行くしかなく
タクシー代金も
かさむようになりました
階段や坂道があるようなところは
避けるようになっていました
そのうち
かがむ動作が苦痛になってくると
靴下が履けない
お洒落なストッキングも履けない
着替えに時間がかかる
脚を冷やさないように
夏でもタイツを履いていて
カッコ悪いなと思いましたが
仕方ありませんでした
私はようやく
諦めてきたことの
多さに驚き
…ショック
でした
涙が胸の奥で溢れてくるのを
感じました
諦めることが
当たり前
になってしまっていた
日常の色は
限りなく私には
暗いグレーの世界
に、なっていたのだと
気が付かされたのでした
手術は安全ですよ
ご自分が本当に
その諦めてきたことを
諦めたまま生きていくことに
抵抗がないのか
しっかり考えてみてくださいね
と
最後まで静かな口調は変わらずに
先生はおっしゃいました
私は明確に
手術を受けようと決めました
私はもう一度
自分らしい動きを
取り返そうと思ったのです
人の心に
花を与えてくれる言葉
ってありますよね
私もそんな花束を渡せる人で
ありたいです