ますみのスピリチュアルカウンセリング
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今回の記事は、スピリチュアルなこととほぼ関係がありません。
今すごく好きで、ハマりにハマっている「バスター・キートン」について、感じたこと・思ったことをただ書き出したいという想いで書き綴ったものです。
気になった方だけ、とても暇な時に読んでいただければ幸いです・・・!
最近、とてもハマって連日観ている人がいる。
バスター・キートンだ。
チャーリー・チャップリン、ハロルド・ロイドと並ぶ、三大喜劇王の一人である。
実は彼を知ったのはほんの最近。3〜4週間前、というところ。
なんの流れか、YouTubeにおすすめで上がってきた短編映画「The Blacksmith(1922) 邦題:キートンの鍛冶屋」をたまたま観たのが最初のキッカケだ。
正直、それまで白黒の映画にほとんど触れたことがなく、当然サイレント映画も観たことがなかった。
チャップリンの名前と風貌は知っているという程度で、バスター・キートンの名など知らず、ウッチャンが好きだと言っていて、過去にパロディのコントをやっていたらしい、と耳にしたのが、その少し前。
その程度のものだった。
それが、「The Blacksmith」をキッカケに、瞬く間に心を奪われ、連日作品を漁るほど沼ってしまったのだ。
約3週間の間に、ロスコー・アーバックルの作品も含めたサイレント期の作品は見終え、トーキー時代の作品を十数本、晩年の主演作品、メイキングやインタビューなどのドキュメント番組、TV出演の動画、CM集まで観るほどとなった。
ここまで心を奪われ、一気にハマってしまうのは、彼の作品の凄さと面白さ、だけではない。
彼自身の魅力と、伝わってくる人柄や内面にも、同時に強く惹かれているからだ。
彼を見ていると、ある人物を思い浮かべてしまう。
それが、小林賢太郎だ。
かつてラーメンズというコンビで活躍し、個人でもパフォーミングアーティストという肩書きで、脚本・演出・主演を務め、現在は劇作家として活躍する人物で、私がもう何年も尊敬してきた人である。
バスター・キートンと小林賢太郎は、とても共通点が多い気がするのだ。
まず、作品の構成や視点。
作品全体を広い視点で捉え、客からどう見えるか?という視点から作り込んでいるように思う。
他の脚本家や演出家もそうかもしれないが、徹底しているというふうに感じられる。
というのも、作品やギャグの構成がよりそう思わせるのかもしれない。
多くの芸人やコメディ作家のネタの作り方は、ベースラインが通常にあり、そこからズレることで笑いを生む、「日常の中の非日常」という作り方だ。
(なお、「日常の中の非日常」「非日常の中の日常」という言葉は、ラーメンズの「アトムより(ラーメンズ第12回公演 ATOM)」というコントから拝借している)
だが、小林賢太郎やバスター・キートンの場合は、ベースラインが通常からズレた状態にあり、その世界の中で普通の行動を取ることで、常にズレが生じるという、「非日常の中の日常」パターンで作られている。
作品の世界が通常より少しだけズレた「非日常」が前提になるので、最初から一転二転した視点からスタートする必要があり、客から見てどうか?という視点を失うことなく作り上げなければいけないので、かなり難しい作り方になる。
そして、この作品を作り切るには、精神力も必要になる。
通常の「日常の中の非日常」パターンは、面白いことを足すことで笑いを誘発するわけだから、ある意味「ここが笑いどころですよ」と分かりやすく提供することができる。
しかし、「非日常の中の日常」パターンは、「前提をズラしておいて、あとはあくまで普通のことをするだけ」という引き算のようなネタになるわけで、そこからさらに面白いことを足すことはしない。
事前に客に情報を共有しておき、あとは客の想像力に任せた笑いとなるため、その作り方に耐えられる精神力が必要となるわけだ。
最初の前提条件をズラした、「非日常の中の日常」パターンに近しい芸人は何組か見受けられるものの、やはり中身を見ていくと、そこからさらにズレを足してしまう方法をとっていて、「非日常の中の非日常」という状態になってしまっている。
終盤に向けてどんどんネタが足されてエスカレートしていくことになるため、よりカオスとなり、お腹いっぱいのアクが強いコントになりがちだ。
「非日常の中の日常」パターンの構成を取れる芸人は、他にバカリズムが得意とするところ。
バカリズムの「速すぎた男(バカリズムライブ「運命」)」というネタを見てもらうと、「非日常の中の日常」パターンがどういうものか、分かっていただけるだろう。
この「非日常の中の日常」パターンは、それまで小林賢太郎とバカリズムだけしか見受けられないものだと思っていたのだが、100年以上も前にバスター・キートンが作り上げていたと知って、本当に驚いた。
しかも、彼自身が「インビジブルギャグ」と名付け、好んでやっていた手法だったのだ。
例えば、「The High Sign(1921) 邦題:キートンのハイ・サイン」のワンシーンで、壁にペンキで「J」と描き、そこに普通に帽子をひっかける。
描いただけのものが、本当にフックとして機能している、というギャグであったり、
「The Blacksmith」で、車の修理中に、1つだけタイヤを外した後、少年が持っていたヘリウムガス入りの風船を、外した部分に引っ掛けて車体を浮かし、ジャッキ代わりにしてしまう、というようなギャグのことを彼は「インビジブルギャグ」と呼んでいた。
しかし、具体的でわかりやすいギャグとして、だけでなく、作品全体にこの「非日常の中の日常」の思考が潜んでいて、他とは一風違う世界観と笑いとなっていると私は思う。
YouTubeのコメント欄に「彼は夢の中を生きていた」というコメントを見かけたことがあったが、ある意味そうで、「非日常」にベースラインがあるが故の表現になっていて、それが伝わっているのだろう。
「非日常の中の日常」パターンにおける笑いは、言った通り、客の想像力に委ねた笑いであり、じわじわと届き伝播してく形で客は笑う。
小林賢太郎にしろ、バカリズムにしろ、バスター・キートンにしろ、この形で笑う客を見るのが至福だったのではないかと思うのだ。
少なくとも、この形で客席中に広がった笑いがしばらく収まらず、舞台上で満足気に笑いが収まるのを待つ小林賢太郎の姿を何度も見てきたものだ。
一言添えておくが、全てのネタがこのパターン、ということではない。
足し算の笑いと引き算の笑いを効果的に織り交ぜており、他の多くの人が作り出せない笑いを構築している、ということである。
さらには、小林賢太郎やバスター・キートンは、マジックやパントマイム(バスターはさらに強力な彼の武器であるスタント)を活用することで、いろんな要素の「面白い」を実現している。
小林賢太郎がかつて、KKTV1にて、
「面白いにはいろんな要素がある。美しいとか驚いたとかも、そういう要素も面白いの一つだし、コメディであるから、もちろん大いに笑って欲しい。いろんな「面白い」を追求し作っている」
といったコメントをしていたことがある。
バスター・キートンも、当時の映画の可能性を追求しつつ、いろんな形の「面白い」を追い求めていった人で、だからこそ、後年多くの人が影響を受け、どんなに真似をされ、使い古されたものであろうと、未だに面白さが衰えない、厚みのある作品となっているのではないだろうか。
そして、小林賢太郎とバスター・キートンの共通点は、他にもある。
それは、彼らの内面である「純粋さ、繊細さ、孤独感からくる内向的な部分」である。
かつてより、小林賢太郎は、孤独感を抱えた純粋で繊細な職人だと感じていた。
彼の内面が作品に反映されていて、特にはっきりと映し出された作品が、小林賢太郎演劇作品「うるう」であった。
その作品の中で象徴的なセリフがある。
『一人になりたがるくせに、寂しがるんだね』
これは、小林賢太郎という人をそのまま、自ら言い表したかのようなセリフであった。
表舞台に出で、作品を通して自分を表現したい気持ちがある。
作品でみんなが笑っている姿を見て、その時間に浸ることが大好き。
でも、本当に心を開ける人は少なく、一人でいる時間も必要。
どんなに周りから賞賛され、喜ばれようとも、純粋さと繊細さ故、世界にしっかりとした壁を築き、仲間に囲まれて楽しく仕事ができようとも、いつも孤独感が滲み出ていて、寂しさを纏っている。
そんな人だと感じていた。
そして、バスター・キートンからも同じ感覚を受ける。
小林賢太郎の「うるう」と同じようなポジションの作品が、彼にもあり、それが「Go West(1925) 邦題:キートンの西部成金/キートンのゴー・ウェスト!」である。
キートン演じる「Friendless」(本当にこういう役名なのだ)が、仕事を求めてたどり着いた先で、1匹の牛「Brown Eyes」と心を通わせたことからストーリーが展開していく、という内容だ。
海外の記事では、「牛のBrown Eyesこそが主演女優であり、人間の女優ではなく、牛とのラブストーリー」と書かれるような映画となっているのだが、観ていると本当に心が温まる内容となっていて、これこそバスターの内面の優しさや孤独感、純粋さがよく表れた脚本になっていると思う。
冒頭のベッドに家財を乗せて引きずるシーンや、女性用の護身用の銃からしっかりしたリボルバーの銃に持ち帰るシーンなど、細部まで意図された、緻密で無駄のない構成からも、彼がこの作品に込めた情熱と想い、そして内面が伝わってくると感じるのだ。
私はとにかく、この手の人に弱い。
純粋で繊細、孤独感を抱えた、他の誰にも真似できないハイクオリティな職人。
かつてブログに書いた、「素数な人」。
誰にもできない道を先陣きって切り開いていく人。
そのせいで理解を得られないことも多く、純粋さと繊細さ故に、傷つき、孤独感を抱えた人。
それでも頑固に自分の世界観を表現し続ける職人。
そんな彼らにとても強く惹かれるのだ。
なぜなら、自分にも似たような孤独感があるから。
このタイミングでバスター・キートンに出会い、その内面に触れたことで、自分の奥深くに存在する孤独感に気づくことができた。
彼を知ることができて、作品に触れることができて、本当に良かった。
まだ観ぬ作品もたくさんあるので、これからも楽しませていただきます。
多くの作品を残してくれて、生きる姿を見せてくれて、ありがとう。
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